落ちる落ちる落ちる

 「今日はゆっくりだね」「ちょっとオチてて」「そう。そういう時、どういう風にして欲しいの」
 コーヒーを淹れながら彼女が尋ねる。もう昼過ぎだというのに僕はやっと起きてきたところ。今日は何も予定がなかったのがさいわいだった。助かった。
 「別に、いつも通りでいいよ。自分で処理するし。何かすることがあれば、なんとかするし、言うよ」「そう」
 彼女と暮らしてまだ間もないけれど、こうして訊いてくれるだけありがたい。互いが空気のようになってしまうカップルは多いし、僕たちはまだ日が浅いから助かったのかもしれないと思う。心配してくれてうれしい。
 「うん。別に優しくして欲しいわけじゃないし、いつも通りにしてくれたらそれでいいよ」「落ちるの、つらい?」「まぁ。でもしかたないね」
 彼女は天真爛漫な性格で、落ちるという感覚はないらしい。こういう人に惹かれるものなんだな、と我ながら思う。
 「けっこう頻繁になるの?」「そうでもないね。怒鳴り声がダメなんだよね」「ふーん。気をつけるけど、怒りの気持ちは抑えるの難しいわ」
 人類が怒りの衝動を抑えることは難しい。僕は今までにもいろんな『事故』に遭ってきたし、これからもそうだろう。この身体に生まれたからには仕方ない。
 「わかってる。別に人が悪いわけでも、僕が悪いわけでもないよ。ただそうあるだけだよ。怒鳴っている人がいたら、遠ざけるだけ」
 できる限りの事をしようと思ってる。そうでなければ、立ち行かなくなるのは自分なのだから。
 「それは、病気?」「たぶん。よくわからない。なんていうか、何もする気が無くなってしまう。頭の中がそればっかりになって、嫌な思考がリピートしてしまう」「そうなの。怒鳴り声がトリガーになってしまうのね」「うん、たぶんそんな感じ」
 彼女は笑ってこう言う。
 「つらいわね。楽しいことしたいわね」「そう言ってくれるだけで助かるよ。理解できなくても認めて欲しいし、そうなんだって、わかってて欲しい」
 僕も笑う。だから僕はこの人に惹かれたのかもしれない。
 「トリガーは他にはないの?」「わからない。怒鳴り声が聞こえただけでモヤモヤしてきて、それが深くなるとしんどくなってしまう」「いわゆる鬱みたいなことなのかしらね」「うーん、よくわかんない。なんていうか、何も手につかなくなるんだよ。気力が失せるというかさ。意欲が落ちる感じというか」「ふーん。そういう時間は少ない方がいいね」「うん」
 たまになら、こういう日があってもいいかもしれないと思う。彼女に自分のことを理解してもらえるなら。そのきっかけなら、いくらでもあった方がいいって思うから。

 「心配してくれてありがと」「ふふ。いいね」

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