自分を幸せにするということ、人を幸せにするということ

 高校から大学に上がって(正確には一浪挟んでるけど)、制服を着る機会がなくなった。私は服装がとてもダサかったんだけど、というか服に頓着しなかったんだけど、それで本当に「友達のような人」は蜘蛛の子を散らすように去っていった、っていうのをずっと覚えてる。男も女もみんないなくなった。

 まぁそれでも残った子と付き合ったし、今でもその時付き合いのあった人たちとは付き合いがあるのだけど。たぶんいなくなった人たちは私が病気になったことすらも知らないと思うし、私のことなんてどうでもよかったんだと思う。

 当時は学校とバイトでめちゃくちゃ忙しくて遊ぶ暇もなかったし、「そのこと」を直視していなかったけど、それが今の私の人間観みたいなものに繋がってるんだと思う。あの時、忙しくしたのも、否定を直視したくないからだったのかもしれない。

 ダサい人と一緒に居たくないっていう気持ちはわからなくもない。ちゃんと人間を人として見てくれる人を選り分けてるつもりだったのかもなぁ。人格をきちんと見て欲しかったのかもしれないし、今でも、たぶんそういう思いはある。

 あるいは、ファッションの所為にして、自分に対する人格否定を正当化していたのかもしれない。これは、自分がダサい所為であって、自分を否定されたわけではないんだって。本当に歪んでいたのは自分自身なのかもしれないし、そういうことって、自分ではわからないことだ。

 あの頃、自分に寄り添ってくれていた人たちが、自分に何を見て何を思っていたのか、わからないでいる。コイツしょうがねえなと思ってたかもしれないし、昔からのよしみだからとか、何かしら抱いていたかもしれない。

 僕は僕といると楽しいよとか、あんまり言えない。今の僕と接することは不幸を招くことかもしれないと思う。そのことに懐疑的だから、人に接触することを過剰に恐れているのだと思う。

 たぶん僕たちは、人を不幸にすることも、幸福にすることも、簡単に安易にできる。幸福にしようと思って行動しさえすれば、きっとそうなれるのだろう。しかし自分の幸福が人の幸福でないことも多くあって、だから人生は難しい。

 自分が人と違うってこと(自分の違いを感じ、悩むのが人の常であるとさえ僕は思う。僕の場合そこに病気も含めてもいい)を、僕はどう了解したらいいのかわからない。どう自分を幸福にしていったらいいのか、わからないでいる。

 人が去っていくのはたぶん簡単で。去る時にはなんだって理由になるし、だから僕たちはいつも危ない橋を渡っているけど、危ない橋だと思ってるのはたぶん僕だけで、普通の人には普通のことなのかもしれない。みんな人が去らないように無難に過ごすものだし、そうすることが美徳になっているっていうのもわかる。そうしないと社会は成り立たないし、倫理なんてものはなくなってしまうのだから。

 自分にはそういう美徳や倫理がないって言いたいんじゃなくて、その欠如がある時期、僕のファッションに現れていたのだと思う。特に奇抜な格好をしていたわけでなくて、地味でダサかっただけなんだけど。それは高校の頃からの自分の延長線上からは外れていたのかもしれない。でも、それでもいいと思ってた。それより優先することが私には在りすぎたのだ。僕はそのことをあまり後悔していない。

 人が周りにたくさんいるから幸せだとか、友達がたくさんいるから幸せだとか、僕にはよくわからない。それ以外を優先した結果が今なのだとしたら、そして今に何かしらの不満を持っているのだとしたら、何かを変える必要があるかもしれない。

 今、ファッションに興味持ってるのはまた別の理由だと思いたいけど、たぶんそういうことなのだと思う。まともになりたいみたいな気持ちも少しはあるけど、もうこれ以上人を手放したくないみたいな気持ちはある。興味持つにはそれでは不純だな、とは思ってる。

 美意識や倫理観の欠如って、それだけで人格を否定するのには都合がいい。ある一面が欠けている人は他のところも欠けているだろうと想像できてしまう。あるところがヤバいやつは他だってヤバいだろう、と。

 私はわたしを幸せにしたいし、私の愛する人を幸せにしたい。好きな人には何の心配もなく過ごして欲しいし、それは我が身もをや。

 私と一緒にいることが幸せなことだ、と人に思わせられるという感覚・自信をずっと求めてる。今の自分には堂々とそう言える最低限の経済力も、人を楽しませる口もない。誰も幸せにすることはできないんだ。

 自分一人を幸せであるかのようにすることはできるだろう。何かに夢中になっていれば良い。でも人を幸せにすることは違う。違うのだ。

 自分を幸せにする、人を幸せにする、そういうことを最近よく考える。それは何に重きを置くか、何を優先するか、ということでもある。人の行動を規定するのは美意識なのではないか。それから意思なのではないかと思う。

 そういうことが合う人と、出逢えたらいい。

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