秋のふたり散歩

「台風来るねー」「そうなの、知らなかった。」「雨降ってんじゃん。外の飛びそうなの片付けといたから」

 今年は水害の多い年だ。各地で50年ぶりとか散々言って、この台風も何十年ぶりの勢いらしい。いつものように、私たちはやり過ごそうとしてる。

「そう。明日休みなのに外出れないね」「そうだね。明日は休みなんだ?」「うん、休みでしょ?」「いや、仕事」「えー、、」「いつも通り出社でございます、たぶん。電車が動く限りは」

 私たちは一緒に暮らしてもう何年か経つ。たまたま息が合って、暮らし始めた。とりとめもない話をして、互いが空気みたいで、だけどなんだか愛おしくて。

「そうなんだー、どうしようかな」

 私は一人でいるのも好きだし、この人といるのも好きだ。どっちでもいいし、どっちでもいい。

「まだ雨降ってるだけだし、今から散歩する?」「うん、着替えるね」「喫茶店行こっか」「うーんだったら、家でお茶にしようよ。この前買ったハーブティがあるの」

 家にいるのもいいし、出かけるのもいい。なんとなく趣味も合って、でも合わないところもあって、でも尊重し合える関係。互いに入り込み過ぎないし、詮索し過ぎたりもしない。

「あ、彼氏と買ったやつだ」「えへへ」「んじゃあ、幸せを分けてもらいましょうかね」「年内に家出るって言ったじゃんか」「うん?」「あれ、無しになった」「そうなの 私はうれしいけど」「うん」「そう。喧嘩した?」「いや、そうじゃないけど」「ふーん」「いろいろあんのよ。おりゃー」

 私たちの暮らしはまだ続くらしい。彼女が出て行ったら、私は此処に一人で暮らすつもりだったから、彼女が残るのはうれしい。何があったのかも詳しく訊いたりしない。ただこの子がいてくれるのがうれしい。

 台風が行ったら、良いことあるだろうか。こんなにうれしいことがもうあるだろうか。台風が連れて来た報せは、台風と共に連れて行ってしまうだろうか。こんなにうれしいことないのに。こんな暮らしがずっと続けばいいのにって思う。

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