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5月, 2017の投稿を表示しています

しあわせを得ること

 最近は、けっこういろんなことが自分に依っているなって思うようになった。ほとんどのことが自分次第なのではないかと。それはあまりにも自分が見えていないかもしれなくて、大げさかもしれないけど。寝ている間、朝起きるのを心待ちにしてるのは、意のままに行動できるのは起きている間だけだ、と思っているからかもしれない。  自分にコン トロール できる事、そうでない事とあるけど、大まかに、自分にできる事をそうでないと思い込む「くせ」が以前のわたしにはあったと思う。2年前の日記を読むと、あらゆる事を世界のせいにしている。障害は依然としてあるけど、そんなに気にするほど大した問題なのかね。何とかなるんじゃねえの?っていまは思ってる。この世界には、きっと楽しいことがたくさんあるし、わたしはわたしの限界まで現代人としての自分を楽しんでないって思う。  この、限界まで楽しむ、っていう発想が以前のぼくにはなかった。 チキンレース するわけじゃないんだから、限界を超えたところでぶっ壊れるというわけでもないし、幸せであるためにはできる限り大きな幸福を掴もうとすることは人間には必要なことなんじゃないか、って最近は思ってる。それは、お金をなるべく儲けたいってことに限らずね。それはもちろん生きてくのに必要なことだけど、それだけじゃあない。じゃあ何なのかって、そんなに具体的には挙がらないけど。  人と関わる悦びというのもあるって、最近は思うようになった。それから考える悦び。妄想する悦び。実行する行動する悦び。  映画を観る幸福、音楽を堪能する幸福、本を読む幸福、文章を書く幸福。  食べる幸福、寝る幸福。  子孫を遺すという幸福。  そのどれをも、わたしは適当にやめてしまってた。あきらめていたといっていいと思う。自分にはこのくらいが身の丈だと、どっかで思ってた。そのくらいが自分らしいと、どっかで思ってた。自分で自分の大きさを決めていた、っていうか。自分なんて、みたいな気持ちがあったかもしれない。卑屈になるのは勝手。だけど、幸福の享受をわたしは自分から拒否していたように思う。  自分次第の多くは自分の行動を拠りどころにしてる。行動してくから変わってく。人に言われたとて、その気にならなければ、人は行動しない。その行動を促してるのは、スイッチを入れてるのは、自分以外にいない。なにか切っ掛けを得て、やると決意して、実

仕事によって自分を高めるということ

 わたしをどこかへ導いてくれるのはきっと、「職業としての技能」だと思う。根性でも体力でもなく、ある一定のことを知っていて、実行できるということ、それだけなのではないか。たぶん。職業者として淘汰されるのか、請われるのか、壊れるのかわからないけれど。当たり前だけど、仕事としてのバイアスを通してしか、良い仕事は絶対に不可能であると思う。人生と仕事の関係について、あまり深く考えてこなかったけれど、今のところ、わたしは職能としての個性は絶対に持っていない。毎日文章を書いたとしても、それは個性とは言わない。病気であることを個性だと言い張るのならそうなのかもしれないけれど、それは他人の都合なのだと思う。  あるのは押井監督の言うところの「生活の癖」でしかない。人にはそれぞれに個性があると見せかけることが教育として都合がいいし、経済活動にも都合がいいし(たぶん)、なんか聞こえがいいというだけで、それは実体を持った職能としての個性とは違う。  今より若い時、装幀の勉強をしようというころ、君のファッションセンスでデザインをやるの?と言っていた人がいたけど、それとこれとは全然違うことなのだと当時から思っていた。自分の都合の良いように考えていただけかもしれないけれど。自分を良く見せようといところに自分は全然立っていなかった。人間という本性は着る服や髪型では絶対にわからないと当時から思っていた。勤めていた本屋はデザイン系の本をたくさん扱うところだったから、おしゃれなお客さんもたくさんいたし、バイトにも 美大 の学生もそれなりにいたのだけど、彼らには実体としての個性は何もなかったように思う。どんなにおしゃれしていても、どこかで見たことのある我がをよく見せたい何かであったし、作ったものを見ても良く見られたい何かでしかなかった。  一方、自分が何かやってたかと言ったら、ほとんど何もやってなかったんだよね。ただ夢想してただけだし、こんな本を造りたいとか、ただかっこいい本との出会いを毎日心待ちにしていただけのように思う。そういうことにイチイチときめいていたし、そういう気持ちは今でもあまり変わってないと思う。  個性は「仕事」によって暴露されるのだ、と思う。仕事による切実さは他では得られない。できなければ放っておかれるし相手にされないし、食い扶持はなくなる。良い仕事をし続けることで、わたしたちは、きっと

たぶん、愛おしいこと

 最近、特定の人でなく、やたらと人間を思ってることがある。寂しいというわけでもないけれど、人と関わりたいと思うようになった。やたらと映画を観にいくのもその所為だと思う。なんだか人を感じたいのだ。映画を観るということはそれ自体もそうだし、映画館に行くその道中も含めて、わたしにとってなにがしかの人間を感じる機会となっている。  それからやたらと掃除をしている。簡単な掃除だけではなくて、大掃除的な、大掛かりなものを一人でコツコツと進めてる。自分の部屋の掃除はもとより、家中を。  先日、服の整理を何年かぶりにした。ここ数年ずっと同じ服たちを季節によって着まわしていただけだったのだけど、なんだかそれでは物足りなくなってきたのだ。着飾るつもりも全然ないけれど、それなりにはしようという気になってきた。それでもひどい格好なんだけど、まぁ多少は。映画を観に都内に行くこともあるし、電車にも、もちろん乗る。以前はそれでも全然へっちゃらというか意に介さなかったのだけど、すこしだけ気になっている。自分の見た目があまりにも、という感じだったので。ちょっと頓着がなさすぎたと思う。名画座とか行くとおしゃれな人だらけなので明らかに浮いてんだよね。さっと行ってサッと帰ってくるし、どうせみんなスクリーンしか見てないんだけど、ちょっとはマシな格好したほうがいいかもしれないと思うようになった。ジャージに毛が生えたような格好では弐番館にはさすがに行けない。都内に行くのも憚られるし。  そういう気持ちになるのは、すこしは人間らしくなったからなのかな、と思う。すくなくとも都会っぽい感覚かもしれない。現代人らしいというか。すこし前まで原始人みたいな生活だったもの。自分の街に過ごすのには、それでも困らないのだけど。行くのは図書館くらいなのだし。映画館に行くとなると話は別である。  みるみるうちに自分の部屋が片付いていって、清々しい気持ち。二日に一回掃除機もかけている。精神の病人としては片付いてるほうだと思ってたけど、そうでもなかったな、と思う。机の上のデッドスペースと服の整理しただけだけど、かなり良い気分になっている。本の整理もしたい。  そういう気持ちになったのは、たぶん、自分の部屋の網戸を自分で張り替えたからだと思う。それで自信がついたし、掃除しようという気になったのだ。その時に自分の部屋のカーテンを久々に開けた

わがまち、住む街

 我が街は、多くの人にとってそうであるように、わたしにとって一貫して住む街であった。わたしは物心ついた時からこの街に住んでいる。わたしの最初の記憶はずっとこの街だと思っていたのだけど(それは縁側にまばゆい夕陽を母と浴びているというものだ)、今思えば陽の向きからいってあれは今住んでいる土地ではなかったようだ。小さい頃は静岡の 掛川 に住んでいたことがあったから、おそらくはそこなのだろう。小学校くらいの時に 掛川 に行ったのだけど、全く覚えてはいなかった。両親ばかりが懐かしがっていて、わたしは少しだけむなしさを覚えた。  それはそうと、わたしはこの街にずっと住んでいる。小学校の時に家を建て替えた頃以外はこの同じ土地にずっと住んでいて、旅行を考慮しても一週間と街を離れたことは無いように思う。たぶん。  この街には、図書館が二つある。市立と県立(?)のもの。わたしはある程度大きくなるまではどの街にも一律に図書館があるものだと思っていた。これはどこかで書いたけれど、わたしは小学校に上がるまでは図書館というものに縁がなかった。友達に誘われて行ったのが初めてだったと思う。市立の図書館は市内中から本を取り寄せることができるのでとても重宝している。  小学校にあがって、わたしの行動範囲はどんどん拡がっていった。隣街の文房具屋にプラモデルを買いに自転車で通ったのも小学校に上がってからだ。当時は第二次 ミニ四駆 ブームであった。この街に ミニ四駆 を扱っている文房具屋はなく、友達に誘われるままに隣街まで足を運んでいた。横浜で親に買ってもらうという選択肢はわたしにはなかった。すべての玩具は自分のなけなしの小遣いから買うことになっていたから。  小学一年の時に、横浜での母との待ち合わせがうまくいかず、歩いて家まで帰ったことがあった。17時の待ち合わせにわたしが遅れて行ったせいなのだが、行きの電車賃しか渡さない母も母だと思う。警察に行くという頭がなかった当時のわたしは当然のように歩いて帰ることを選択した。ちょっとした冒険気分だったかもしれない。あれは、確か日曜だった。17時半まで待ってあきらめたわたしは自宅までの5駅分を歩いて帰ったのだった。道もわからないので線路ぎわをつたって歩いた。帰る頃には毎週楽しみにしていた 大河ドラマ が終わっていた。それだけが残念だった。両親は当たり前のように心配し

大事なことはなんなのか、ってこと

 わたしのこれまでの人生、うまくいったこともあったし、そうでないことも、もちろんたくさんあるのだけど、うーん、まぁぼちぼちですよね、たぶん。いや、人から見たら大失敗じゃん、大不幸じゃん、ってこともあるかもしれないけど、まぁ自分としては、けっこう良いじゃん、と思ってて。  それは運もあったし、生まれもとりあえずは恵まれていたと思うし、自分のしたなにかしらの賜物もあったかもしれない。何によって今こういう気持ちになっているのかって、その遠因はわからないものだ。なんというか、今更どうこう嘆いてもしかたないことが多すぎるので。  幸せであるには、「いま、ここ」をとにかく充実させることに集中することでしかないと思う。あとは、自分にコン トロール できないことに手を出したり、ヤキモキしたりしないこと。情報を得て判断することは大事だと思うし、自分の目に入ってきたうちの多くはどこかで何かしらの形で自分に降りかかってくることなのだと思うけど、とにかく、「いま、ここ」。  大事なことはなんなのかってこと。どんなに関係ないことに思えても、どこかしら縁があって目に飛び込んで来ている限り、人生に何かの影響はあるかもしれない。今すぐにでなくても近からぬ未来にでも。しかし「いま、ここ」にコン トロール 不能で、将来においても影響のないことははっきり見切るべきだって思う。  政治や経済について憂いたりしても、自分にはほとんどのことはコン トロール 不能だと思う。情報としていろんなことを知ることはもちろん大事だし、それは例えば選挙という形だったり、ぼくの世代には縁遠いけれどデモだったり、何かしらの行動には繋がるかもしれない。それは世論の一部、社会の空気の一部ではあると思う。情報を正しく読みとって、判断することが大事なのだと思う。  いかがわしい情報を見抜くためには違和感を感じることが大事だと思うし、そういう方法論があるのだと思う。騙す人がしがちなことってあると思うから。ネットの広告モデルでは、脅かす人ってのは定期的に必然的に現れてくる。いろんな人がこの世にはいて、それぞれに思惑がある。自分の思い通りの社会に向けて他人を動かそうという人は多いし、そこにはカネもヒトノイノチも関わってくる。一人の人にできることは限られているけれど、声の大きい人というのはいる。  しかし政治や経済を憂いても、わたしという一般

自分を好きであるという幸福

 今日はここ最近思ってることの話です。  けっこう、自分のことを好きになりつつある、というか、自分のことを好きであることを認識し始めていると思う。それなりに充実した日々を送っているし、楽しい毎日である。価値のあるものを生み出せてるかというと疑問ではあるけれど、そこに向かってるかもしれない──遅々とだけど──という感覚は自分の中にあると思う。どうやったら価値のあるものを生み出せるのだろうかというのが、ここ最近の自分にとっての高邁な課題であり、話題だと思う。  そのためには、自分にとってなにが価値があるのかを知ることが大事なのではないかと思っている。それを探るうちに、けっこう、いや、今まで自分に対して思っていたよりは、自分のことを好きなのだと思えるようになったのだと思う。ただその言い方はたぶん適切ではなくて、もともと好きだったものをそうだと認識し始めているということなのだと思う。それはナルシスト的にではなくて、なんというか、つまるところ、「生の悦び」なのではないか。自分にとって価値のあることを把握することは、楽しいことでもあり、自分を好きになっていく、あるいはそれを認識するきっかけにもなる。それは生きる悦びであると思う。  わたしにとっては、それなりにつらい日々もあったのだけど、自死することを考えたことは一度もなかったと思う。それは、遺書を書くという困難さがあるからだと、どこかに書いた。つまり、納得のいく遺書を書ける気がしないから、死ぬことなんて頭に浮かびさえしなかった、というか除けていたのだと思う。  翻って、なぜ生きているのかというと、たぶん、生かされたからだと思う。それだけなのだと思う。そうして、わたしは生きている、生かされている。わたしにどんな能力があるかなんてわからないのだけど、ただ、生きていることが、いまは楽しいのだ。  自分にはなにかの価値を生み出す能力があるだろうと思っている。あるはずだ、と思っている。なんの根拠もなく思っている。生を与えられたのだから、何かあるのだろうと。わたしは生きている。生きて、様々なことができるはず。  いろんなことを意図してやりたいという通念が自分の中に芽生えつつある。因果関係などと大げさなことを言いたいのではなくて、すべての動作、すべての行動に意図があるべきだと窮屈なことを考え始めている。それはとても堅苦しくて、とても疲れそう