たぶん、愛おしいこと

 最近、特定の人でなく、やたらと人間を思ってることがある。寂しいというわけでもないけれど、人と関わりたいと思うようになった。やたらと映画を観にいくのもその所為だと思う。なんだか人を感じたいのだ。映画を観るということはそれ自体もそうだし、映画館に行くその道中も含めて、わたしにとってなにがしかの人間を感じる機会となっている。
 それからやたらと掃除をしている。簡単な掃除だけではなくて、大掃除的な、大掛かりなものを一人でコツコツと進めてる。自分の部屋の掃除はもとより、家中を。
 先日、服の整理を何年かぶりにした。ここ数年ずっと同じ服たちを季節によって着まわしていただけだったのだけど、なんだかそれでは物足りなくなってきたのだ。着飾るつもりも全然ないけれど、それなりにはしようという気になってきた。それでもひどい格好なんだけど、まぁ多少は。映画を観に都内に行くこともあるし、電車にも、もちろん乗る。以前はそれでも全然へっちゃらというか意に介さなかったのだけど、すこしだけ気になっている。自分の見た目があまりにも、という感じだったので。ちょっと頓着がなさすぎたと思う。名画座とか行くとおしゃれな人だらけなので明らかに浮いてんだよね。さっと行ってサッと帰ってくるし、どうせみんなスクリーンしか見てないんだけど、ちょっとはマシな格好したほうがいいかもしれないと思うようになった。ジャージに毛が生えたような格好では弐番館にはさすがに行けない。都内に行くのも憚られるし。
 そういう気持ちになるのは、すこしは人間らしくなったからなのかな、と思う。すくなくとも都会っぽい感覚かもしれない。現代人らしいというか。すこし前まで原始人みたいな生活だったもの。自分の街に過ごすのには、それでも困らないのだけど。行くのは図書館くらいなのだし。映画館に行くとなると話は別である。
 みるみるうちに自分の部屋が片付いていって、清々しい気持ち。二日に一回掃除機もかけている。精神の病人としては片付いてるほうだと思ってたけど、そうでもなかったな、と思う。机の上のデッドスペースと服の整理しただけだけど、かなり良い気分になっている。本の整理もしたい。
 そういう気持ちになったのは、たぶん、自分の部屋の網戸を自分で張り替えたからだと思う。それで自信がついたし、掃除しようという気になったのだ。その時に自分の部屋のカーテンを久々に開けたのだけど、この感じ、いいな、と思えたのだ。それまでカーテンを開けるのは朝陽が出たかな、と外に観に行くのに確認する時くらいだったから。今は当たり前のように日の出とともに部屋に陽が入ってきて、それも気持ちが良い要因だと思う。
 うまくいってることもあれば、うまくいってないこともある。概ね今は幸せだけど、不十分なところも、もちろんある。
 自分と人との間にズレがなにかあるんかなぁ、と思ってしまってる。誰だって当たり前にそう思ってることなのかもしれないけれど。人との関わりに慣れてないというか、忘れちゃってる感じもしてる。人にスルーされる度にほんの少し心が傷ついて、会話の切りどきの常識を一から作り直してる感じ。たぶん、それが当たり前だし、よくわかんないこと言ったり、つまんないことしか言えない自分が悪いんだけど。慣れてないことをなんとか慣れようとしている。この気持ちって、人恋しい、っていうのかもしれない。スルーはスルーで別にいいんだけど、絡みたい人ってのもそれなりにいる。うまくいってないなぁ、って思う。なんとか自分に言い聞かせて、納得させている。うまくいかないそのほとんどは自分が悪いんだけど。なんか、一人で空回りしてる感じ。つまんない、自分がわるいのだ。
 この人とはうまくいかないけど、他の人とはうまくいってるじゃんって、昔はよく思ってた。それはきっと、誰だってそうで、相手のことをなんにも知らなければ、人との距離はそれなりに遠いものになるし、知っていても遠い人はいる。それでも探ってくノウハウみたいのがきっとあるんだろうなぁっと思う。関わっただけではほとんどの人は相手には興味は持たない。それは自分だってそうだし。それがどうして相手に関心を持つようになるのかに興味がある。なにが人と人を惹きつけ合わせているのだろう。人と人がうまくいくなんて、事故みたいなものだと思う。この瞬間ダメでも、後から、あるきっかけで気が合うことなんていくらでもある。「縁」というものって、よくわからないけれど、大事にしてる人は本当に大事にしてるんだと思う。そこらへんの機微がわたしはよくわかっていない。
 そりゃあ、この人とは仲良くしたい、と思うよ。人間だもの。なんかわかんないけど、そう思うんだ。逆に、気持ち悪い人はどこまでも気持ち悪いし、無礼な人はどこを切り取っても無礼だもの。そういうことだって、ある瞬間から切り替わるのだろうなー、とも思ってる。だから、人間って面白いのかもしれない。この気持ち『愛おしい』っていうんだろう。
 最近は、人との関わりについて考えている。映画を観ることもそうだし、本を読むこともそう。音楽を聴くことも。いろんなところにわたしは「人」を感じてて、それがとても愛おしいのだ。それは、そういうものに才能を感じるからとか優れたものだからとかではなくて、なんというか、人間というものが、とても愛おしくなっている。醜いと同時に美しい。
 わたしは孤独の心地よさに酔ってしまってた。いまだに、人間というものに慣れていない。でも、この愛おしさってなんなんだろう、と思う。愛おしいものを愛おしいなぁって思っているとき、とても心地よくて、イイ気持ちになれる。
 徐々にだけど、社会復帰が近づいているのかもしれない。音楽を浴びるように聴き、本を読みたいだけ読み、時間が許せば映画を観る。そのどれにもそこかしこに人間がいる。愛おしい「人間」というものが。「縁」を語ることができるほどわたしは人と関わっていないけれど、なんだか「縁」を思うとき、とてもここちよいのだ。

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