言葉の力を思考/施行する

 言葉で表現してわかること。上から順に書いていき、上の文字が下の文字を規定する。上に意味があるから、下も意味を持つ。どれ一つとして欠けても意味を為さない。無駄がなく、練られた言葉は、強く響く。
 書く言葉は試行錯誤できる。納得がいくまで練り上げることができる。話す言葉ではこうはいきそうにない。上から書いていく。最後まで来て読み直す。自分の表現したいことが現れているだろうか。これを読んだ人に自分の伝えたいことが伝わるだろうか。効果的に伝わるだろうか。人の中に何かを響かせることができるだろうか。ぼくの知恵は発揮されているだろうか。それは紛れもなくぼくの言葉だろうか。
 書いていくうちにそこにこの言葉が必要だとひらめく。それを順番に言葉にしていく。とっさに浮かんだ言葉も、感覚的に入れた言葉も、一緒くたになってこの言葉の集まりに参加している。それぞれに作用しあってそこに存在している。書きあがったものは、なんとなくまとまっているかのように見える。でもそれが効果的なのか、ぼくにはわからないでいる。
 いつもうまく言葉にできているとは思ってない。いつだって不甲斐ない思いをしてる。何かが足りてないような気がしてる。言い残したことがあるんじゃないかといつも不安。もっと効果的に伝える方法があったんじゃないか。ぼくが書かなくてもよかったんじゃないか。
 書いて伝えるということには、魔法がある。文字にすることで印象を残すこともできる、文字を残しておくこともできる。その文章は今でない、いつかその人を救うかもしれないのだ。
 他ならぬぼくが知恵を練りこんで書いた文章を、ぼくの大事な人に贈るのならば、それはぼくにしか書けない文章である。
***
 人を説得するとき、言葉を書く。自分を説得するときにも。それを読んでもらうことさえできたら、うまくいくかもしれない。読んでもらえないことにはどうしようもない。誤読だってされるだろう。できるだけ、わかりやすく書く。論旨明快に。
 相手がぼくの意図に気がつくとき、気持ちの良いように書きたい。頭の中を解きほぐすとき、言葉はとても有効だ。言葉を以って考えない人は少ない。だから言葉で解く。隠れた自分を見つけたとき、懸命な人にとっては心地が良い。ぼくの文章を読むうちに、そういう気持ちになってほしい。
 淀みなく書かれた文章はすらすら読める。つぎつぎと自分の中に入ってくる。
 言葉を思考する。言葉を施行する。
 相手へのAIさえ失わなければ、書けるはず。その人のために必要な、ぼくにしか書けない文章が。

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