人間関係不得意

 人がどう思ってそれをしたんだろうって、思いを巡らす想像力を失いたくない。だから、自分に関することだけじゃなくても、いろんな人のいろんな場面でのいろんな気持ちを知りたい。どういう時に、人はどういう行動をするんだろう、って。どういう行動をすると、どういう意味が生まれるんだろうって。
 行動そのものよりも、行動によって生じる意味が大事なんじゃないか。その意味によって人がどう感じるか、ということ。そのことを考えないといろんなことを間違える。僕は自分がどう思われてるのだろうということにも、これを言ったら相手がどう思うだろうということにも鈍感なので、いろんなことをよく間違える。
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 行動によって立ち上がってくる意味は、その行動をする人によって変わってくる。同じ行動をしたとしても、同じことを言ったとしても、その人のキャラクターによって、相手の受け取り方が変わったりする。尊敬してる人がすることと、見下してる人がすることは意味の受け取り方が変わったりする。
 それから受け取る人のキャラクターによっても行動から立ち上がる意味の享受の仕方は変わるだろう。
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 僕はただ言いたいことを言ったり、したいことを行動したりするだけなので、人と接することに困難を感じるのだと思う。今は僕のキャラクターを把握してる人たちによって、たまたま許されているというだけに過ぎないのではないか。本当は意味不明なことをたくさんやっているんじゃないだろうか。
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 人が行動する。
 その行動から意味が立ち上がってくる。
 それを人が受け取る。
 そして何かを思う。
 人の営みはそうやって成り立っているんじゃないか。自分の思ったことが直接人に伝わることはほとんどなくて、そのほとんどは行動を介して伝わる。自分のキャラと相手のキャラとの相互作用(行動による意味の受け渡し)によって人間関係は成り立ってる。
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 僕は鈍感すぎるのだ。自分のしたことと相手が受け取ることについて。それと同じように相手のしたことと自分が受け取ることにも鈍感だと思う。自分のできないことを自分が把握することは難しい。
 人との関係を今よりもっと築いていきたいのなら、自分のしたことを人がどう受け取るか、人がしたことを自分がどう受け取るか、ということに感覚を張らないといけないと思う。それが思いを巡らす想像力なのだと思う。そうしたら、少しは楽になるんじゃないか。

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