投稿

1月, 2017の投稿を表示しています

しゃべれないということを、どう捉えているか

 端的に言ってしまえば、しゃべれないことを受け入れてしまっていると思う。たぶんわたしは経済的には将来にわたって一人で暮らしていくぶんには困らないと思う。だからと言って、経済社会活動を放棄していいことにはならないし、働かなくてもいいことにはならないとは思う。厳密に言えば、わたしは働いていないとも言えない、とも思うのだけど、そこははっきりさせたくないところというか、今日はどうでもいいことだ。とにかくわたしは慎ましやかに一人で生きていくことに経済的には困らないと思っているのでその点はご心配なく。それは本当に運が良かった、恵まれていることだと思う。その点は開き直っているのだと思う。  もちろんしゃべれないことによって困ることはたくさんある。ありすぎるのだけど、そのことを見て見ぬ振りをしているし、困ることを可能な限り避けて暮らしていると思う。それでも、ある程度充実して暮らすことはできていると思っている。ある人に言わせるとそれは人間活動ということらしいけど、運動し、筋トレし、料理を作り、瞑想し、音楽を聴き、本を読み、ネットをし、ときどきこうして書く。わたしはたぶん幸せだと思う──一人で暮らすことが幸せか、ということは置いておいて。それはしゃべれないからそういう価値観を獲得していったのか、わたしが本来そういうものを持って育ってきたのかはわからない。一人っ子ということは大きかったと思うし、元々群れるのが好きなたちではなかったと思う。寂しさはそれほどないし、一人でいて性急に困るということでもない。  今のわたしが目指しているのは、おそらく、いかに社会の役に立つか、ということだと思う。しゃべることが必ずしもそのことに必要だとはそれほど思っていない。確かに不便だし、できることも限られてしまうけれど、できないことはできないのだ。もちろんしゃべろうとする努力は怠るべきではないし、しかし、しゃべれなくても、社会に役に立つことはできるのではないか、とも思ってる──思いたい。それは願望に過ぎないかもしれない。それは安易に、働きたいとか、お金を稼ぎたい、とも違う。わたしは社会によって生かされている。わたしが社会の中に存在しているのなら、社会に何か還元しようと思うのは当然のことだと思う。わたしにできることがあるのなら自分を社会に活かすべきだ。できることを少しずつ広げていくことだと思う。わたしにとって成

ぼくのすうぃんぐたれながし

 今日は自分の感じてる音楽について書きたいと思う。それは自分の価値観の表明でもあると思う。  まず、自分の中の価値観として、かっこつけないのがかっこいいということがあると思う。それは、自分の中のいろいろなところに表出していて、自分の欠点もかっこ悪いところも自発的に言ってしまうし言いたいし、それは、かっこつけないことがかっこいいという価値観があるからだと思う。さらけ出してこそ、と思ってる。どこか崩れた人間の美学というのがあるのかもしれない。かっこいいだけが人間ではないし、情けないところかっこ悪いところも含めて人間なのだ、それこそが美しい、という美意識が自分の中にあるのかもしれない。かっこつけてるかっこよさに辟易してるというか。  もちろんかっこいいエンターテイメントも好きだし、かっこいいことも好きかもしれない。だけど、人間はそれだけでは不自然だ、と思ってしまう。かっこいいという夢を見させるのが、大衆娯楽に必要なのはわかる。とてもわかる。そういうもんだと思う。  ジャズマンはしかし、かっこつけない。汚い格好で髪もぼさぼさでヨダレ垂らしながら演奏する人もいる。そこにはエンターテイメントとか商業主義とか大衆娯楽ではできない、ある種のかっこ悪さがあると思う。でも、少なくとも私にとって、その人たちの奏でる音楽は本当に素晴らしいものだ。それだけで十分なのだ、音楽にとっては。奏でられている音楽が、音楽のすべてなのだと思う。音楽にかっこよさは本当に必要なのだろうか。  彼らはミスをしない。それは演奏技術が長けているからではなくて、ミスも演奏のうち、ミスをミスにしない、ということなのだと思う。かっこつけてる人のミスはイタい。それが致命的になりうることもあるかもしれない。  音楽を音楽たらしめているのはいつも「歌」なのだと思う。ここでいう「歌」は発声することだけを意味しない。自分の好きな楽器を用いて歌うということ。そこにあるすべての音は、素晴らしい「歌」のためにあるのだ。音楽はメロディであり、ハーモニーであり、リズムである。「歌」はそれらによって成り立っている。  ジャズの肝は歌っている、ということだと思う。かっこつけることは決して中心にない。かっこつけるのが好きなジャズマンももちろんいるし、いろんな嗜好の人がジャズマンの中にもいると思う。即興で演奏するという性質上その音楽家の嗜好はとて