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9月, 2017の投稿を表示しています

一人でいても、味わえない喜び

 認められるから、僕はここにいるわけです。そうでなければ、ここにいない。人が何処かにいる理由なんて、そんなちょっとしたことで。それがわかっていないなら、人をほだすことなんてできない。その形としてのお金だったり、タスクだったり。 ***  認めてる、ということをどうやって表現するか、ってそれは透けて見えるものだ。簡単に見抜かれるものだ。どう在ったって解ってしまうものだ。ちょっとした受け答えや、相槌、態度や、物言い、そんなことでこの人は私を認めていない人だということはわかるものだ。観察眼を磨くことだ。  出会ったばかりで大事なことは、いかに早く認められるかということかもしれないし、それが全てかもしれない。人と人の関係って認める、認めてない、ということで完結できてしまうのかもしれない。  「認める」ということの表現って、敬意もその一つなのかもしれない。  敬意を失っても、認めることはできる、か。そうかもしれない。でも認めているということの表現を失ったら、人は離れていくだろう。それは敬意に代わる何かをしているということ。  認めている、ってことがどういうことなのか、って? 認めることこそが人としての尊厳だろう。そこに「人」がいるということを認める。「もの」でなく、「人」がいると認める。それだけでいいのだけど、難しい人には難しいらしい。  スレてる人は人間を「もの」として扱いがち。そういう人が近くにいるとろくなことないよ。さっさと離れた方がいい。  どうやったら人に認められるようになるか、って? 認められようとあからさまな人は敬遠されがちになるかもしれない。かといって何もしない人間が認められるってことは多分ないし、それは若い君のためにならない。何かをして、それを認められることが一番だよ。何をするかは君次第だし、どのようにそれをするかも、大事なこと。同じことをしても認められることもあれば、そうじゃないこともある。そういうのをもしかしたら、人格というのかもしれない。  とにかく、やれる限りのことをやり尽くして、見る目を持っている人を探し尽くすことだ。何処かにいるはずなんだ。それを探し続けろ。そして自分にできることをやり尽くすんだ。  人に認められるということは一人では決してできない。誰かがそばにいるから可能なことだ。井の中の蛙は誰からも認められる機会はない。誠

代えられないうれしさ

「いいじゃない」「そう? ありがとう! あなたに褒められるとうれしいの」  第三者がそこで口を挟む。 「いや、こんなのダメじゃない?」  あなたはそのあと言ってくれる。 「いや、いいと思うわ。これとてもいいわよ」  私はうれしくなる。 「そう? わかってらっしゃる! 誰に褒められるよりあなたに認められることがうれしいわ」「そう? 誰だって一緒でしょう」  謙遜なのか、なんなのか。 「そんなことないわよ。あなたは私にとって特別。私のしたことであなたに褒められることが私のある時期の目標よ。こんなこと今だから言うけど」「そうなの!」「なんていうか、誰に認められるよりもうれしい人よ、あなたは」  誰に何を言われようと、この人に褒められたら、それでよかった。そのことだけを目指していたと言えるかもしれない。私の認めた人。その人に認められることに勝る喜びは、たぶんないだろう。 「……。」  黙るあなた。目がうるうるしてる。 「こんなこと口に出しちゃうのはあれだけどね」  なんだか戦友と共に帰国した人みたいだ。自分のしたことで誇りを持てる瞬間。自分で納得したものを、認めた人に認めてもらえる。そんな喜びは、外に向かって仕事してるから味わえること。一人でいても、決して味わうことのできなかった喜び。自分の達成感の上にある喜び。人に認めてもらえる、しかも、自分がこの人と思った人に。僥倖は人がもたらしてくれる。自分がしたからこそであるけれど、でもこの人が存在しなかったら、私はこんなにうれしい気持ちにはならなかったろう。どんな批判も、今だけは受け付けない。この人がこれを言ったのだから。

やる前から諦めているということ

 何をするにおいても、やる前から諦めているようでは話にならない。それは何かをしようとしているのではなくて、何かを諦めようとしているのだ。幸せになりたいという命題に対して、ハナから、いやきっとそうはなれないだろうと考えていたのでは、きっと私たちは幸せになることは叶わないだろう。  やる前から諦めている自分がいる。今の生活に諦めている自分がいる。幸せのためにうまく頭を働かせ、振る舞い、行動すること、そして運を天に任せることが怖いと感じているのだと思う。  うまく頭を働かせること自体が運であるように錯覚してしまっているかもしれない。思いつくことは「たまたま」であるかのように。思いつくことが必然となっていないかのように。そうあるべくして考えているという感覚が自分の中に希薄である。ある状況になったら、必ずそう思考するだろうか。たまたまであるとへつらっていないだろうか。そういう弱さを私は抱えている。どんな困難でも乗り越えることができる、思考して必ず突破できるという自負がない。いつもそうできているかもしれないのにも関わらずだ。それは謙虚なのではなくて、ある種の傲慢なのだと思う。  うまくことを運ぶためには、運に頼る割合を極力低くするべきだと思う。それは考えを思いつく運──それは実際には運ではないのだが──も含めて。多くのことを確定していく。確実にしていく。固めていく。運の要素をなくす、それこそがうまく生きるヒントかもしれない。思いつくということでさえも必然にする。  ある状況になった時に必ず名案を思いつくと、盲信する。思いつかなかったことなんてないのだ。いつだって誠実に、謙虚に、私は思いついてきたはずなのだ。なのに、諦めようとしている。うまくいかなかったとしたら名案を思いつかなかった所為ではなく、他に原因があったのではないか。どうせダメだと思っていることにどんな根拠があるのか。私は本当にダメな人間であるのか。どうダメな人間であるのか。案の実行に不備はなかったか。運を天に任せていないだろうか。  諦めてしまっている自分。諦める根拠なんて何もないのに。ただやっても無駄「かもしれない」うまくいかない「かもしれない」と及び腰になっている。今までの人生、なんだってなんとかなってきたはず。やってみないことにはうまくいくかどうかなんてわからない。やる前から諦めていたのでは話にならない

言いたいこと

「何か言いたいことあんじゃないの?」「いや、別に」「ならいいけど。それじゃ、もう行くから」「もう行くの?」「何よ?」「いや、別に」「なに?」「いや、別に」「はっきりしてよ なんなのよもう」「いや、いいんだ」「言い淀んでる感じ気持ち悪いんだけど」「いや、いい」「あっそ」  何かを言い淀む時。相手を気遣っているのか。自分の気持ちをうまく言葉にできないのか。うまく伝える自信がないのか。相手の方がよく考えてる事に対して何かいうことを躊躇うのか。つまり自分の方が浅いことを躊躇ってしまうという事もあるかもしれない。  こんな秋晴れの気持ちの良い日に君を誘えないのはなんだか憂鬱。だけどそれを何かの所為にして、ぼくは君を見送ってしまう。君は行ってしまう。確かに言いたいことはあったのだけど、そしてそれは面と向かってしか言えないことで。そういうことってあるでしょう? だけど、ぼくは躊躇して、この場に立ち尽くしている。もうどうしようもないかもしれない。  この場で君を誘わなければ、君と歩くことはできない。もう一生そのチャンスはないかもしれない。なにかを彼女の中に残してしまったまま、ぼくは立ち尽くしてる。こんなことなら何も残さない方がましだった。彼女の内部にひとかけらだって自分なんて人間を入れるべきでなかった。そうすれば、こんな思い、することもなかったかもしれない。  彼女の背中が見える裡に、ぼくはもう呼び止めている。 「カナさん……! ちょっと歩きませんか?」  パッと彼女が振り向いて、こっちに歩いてくる。 「良いよ。駅まで行く?」「はい」  こうして喋りながら彼女と歩いてみたかった。それは何処でも良いってわけじゃないし、何時でも良いってわけじゃない。この場で今じゃないとダメなんだ。こうして自分で引き止めて、二人で歩くことに意味がある。  彼女は多分ぼくより考えてる。それでもぼくは考えなくてはならない。考え続け、行動し続けないことには、彼女のそばに生きることはできないだろう。その一歩としての、その宣言としての。  「もう秋だねー気持ちいいねー」「そうだね」「何か言いたいことがあったんじゃないの」「いや、一緒に歩きたいなと思いまして」「ふーん」

緘黙であることの後ろめたさ

 ある種の後ろめたさがずっとある。それは、喋ることから逃げているという感覚からくるものだと思う。  別にわたしはサラリーマンしてないことに劣等感も抱いてないし、いい歳して恋人がいないことも、家族を養えていないことにも何も感じてない。そういう機会がないというだけの話だと思うし、今のところそれなりに幸せにやっているので特に思うこともない。ひょっとしたら、心の奥底に何かの火種は持っているかもしれないけれど、それは今のところ些細なことだと思ってる。  それよりも、喋ることから逃げているという感覚が自分の中にある。ずっとある。喋ることには恐怖も不安もない、だけど、喋れない。それは病気だからだけど、それを病気のせいだけにしていていいのだろうか。おそらく薬を飲むことは寛解の助けにはなっても、寛解することには直接は繋がらないだろう。私が喋ろうということでしか喋ることはできない。  9月の10日から緘黙を寛解させようと試行錯誤しているというか、意識しているけれど、自分を追い詰めるばかりで一向に喋る気配はない。せいぜいが鼻歌を歌う程度だ。自分を追い込むことで憂鬱になっている。鬱だとは言わないけれど、実際に睡眠時間は増えているし、QOLも下がっているように思う。生きていて楽しくないし、事実、朝起きるのがしんどい。起きることができなくなっている。無理やり起きている。とにかく楽しくないのだ。うまく自分をコントロールできなくなっている。  こんなことなら寛解なんて目指さずに悠々自適に生きていたほうが楽しかった。この壁の向こうに拓けた土地があるとわかっていながら、それを一直線に求めることができないでいる。  喋ろうと思って喋るわけではないと思う。そうする人間なんていない。ただ言葉は突いて出てくるものだ。自然と言葉が出てくるように仕向けたほうが早いって気がする。私は考えすぎなのだ。喋ることで人を楽しませようとか、自分が楽しもうとか、そんなことじゃなくて、ただ喋る。当たり前のように喋る。そうする以外にないって気がしてる。そうできたらいいのにな、と思う。  逃げも言い訳もつらさも湧き出てくる思い出も後悔も、ただイイワケに過ぎない。自分をどうにかしないことにはどうにもならない。喋ることでしか喋れない。さんざ自分と向き合ってきたつもりが、何の役にも立っていない。私は私を包括し得ない。ただただア

かつて月にまで行った文明

 浮気した彼氏にフラれ、話を聞いてもらうために友達の家に来た。必死に励まそうとしてくれる友人が言うことには。 「そんなこと、宇宙規模で言ったら、大したことじゃないよ」「そうかもね。でもわたしには大事なことなのよ」「人類はむかし月まで行ったんだよ? 男が浮気したくらいでなんだー」「そうだね。でもわたしには……」  うまく心を整理できないまま、よくわからない話が始まってしまった。宇宙は宇宙だが、彼は彼だ。 「だけど、宇宙は広いんだよ。地球だって広いし、いくらでも人はいるんだよ! そんなこと、気にするなー!」「うん、ありがとう」「自分をちっぽけだと思えー! みんなちっぽけなんだー! そう思えばどーでもよくなるよ! ほら」「うん、そだね」  いきなりフラれ話に宇宙や月を持ち出す友人に戸惑いつつも、そんな気分になってくる。でもまだ立ち直ってはいない気がする。 「そんなことより、笑って? ほら、楽しいことしよっ」「えー、無理だよぉ」「ほらほら~」「わかった、わかったから!」「いーや、その顔はわかってない顔だ! 宇宙人め、やっつけろー」「きゃー」  二人で呑み始めると時間が経つのは、はやい。ちょっと落ち着くと、途端にいろんなことがどうでも良い気分になってくる。 「そう考えると、人類って月に行ったんだよねぇ」「そうだねえ」「月にタッチして戻ってきたの? 人間のどこにそんなパワーが!?」「そうだねえ」「すっごいよねぇ。よっしゃ、わたしも宇宙行っちゃるー! 浮気なんてどんとこいじゃー」「おー、いいねー、その調子、その調子ぃ」

風邪

 「風邪ひーた。来て、今すぐ」「やだよ。無理」「なんで」「無理だから。もう電話しないで」「わかった。だから来て」「行かないって」「なんで切らないの」「別に。切ってよ」「やだよ。声聞いてたいんだ」「……。」「なんか喋ってよ」「……。」「俺もう死ぬかもよ」「ふーん。じゃあ行くわ。」

食事と会話

「こんど、あたしとお食事しませんか?」「いいですけど、僕お酒飲まないんです」「じゃあ、ランチにしますかね」「いや、夜の方がいいです。昼だとゆっくりできないでしょう」「んじゃあ、ランチとディナーで!」「いいっすよ。じゃあとりあえずランチしますか」「あした?」「了解ですー」  翌日の昼。待ち合わせの時間。正直、僕は会社の周りの店には詳しくない。情けない話だけど、行く店は任せてしまおう。 「お待たせー、じゃあ行きますか! どこにする?」「僕くわしくないんでお任せします」「あ、そう。いつもお弁当なの?」「そうですねー、お金貯めてるんです」「そうなんだ? じゃあイタリアンにしよっか」「お任せですー」「んじゃあ、夜もあたしが決めて良い? 行ってみたいところがあるの」「よろしくです」「なんか緊張するね」「そうですねー。わはは」「仕事は順調? なんか訊きたいことないの」「うーん、、」「あ、この店ね。いい?」「はい、大丈夫です。どこでも」  ちょっと高そうな店だけど大丈夫だろうか。貯めてるなんて言わなければ良かった。 「あたしが奢るから。気にしなくていいわよ」「えー、悪いですよ」「いいのよ、誘ったのあたしだし」「じゃあ、夜は僕が出します。そしたら、店も僕のよく行く店で良いですか? もう予約とかしてますか?」「あ、そう。じゃあ任せるわ。まだ予約してないし」  良い感じのお店だ。デートで来るのだろうか。みんな笑顔で料理を食べている。おいしそう。 「ここね、元彼とずーっと前に来たのよ。美味しいのよ」「あ、そうなんですか」「今いるか訊かないの?」「いないんですか?」「いないよー。君は? 彼女いないの?」「いないっすね、もうずっと」「ふーん、そうなんだ」  唐突に始まってしまった会話にドギマギする自分。落ち着け。シェフらしき人がメニューを持って来た。 「何にしよっかなー。うーん、じゃあ、本日のおすすめパスタで!」「あ、じゃあ、僕も同じので」「もうどれくらい彼女いないの?」「5年くらいですかねー。仕事が忙しくて彼女どころじゃないっす」「ふーん」「なんか、人を好きにならないし」「そうなんだ。充実してるのは良いことね」「まぁ、、、そうですね」「でも、仕事だけってのもねー。女っ気ないのに慣れると、結婚遠いよー。あたしが言えることじゃないけど」「結婚したいんですけどねー。子供も欲しいし」「ふーん。良いパ

笑う月

 ふと見上げると、月。ふたりで歩いている男の子と女の子。 「月が綺麗だー」「そうだねー」  空には満月。迂闊にも例の言葉を口走ってしまった男。とっさに弁解する。 「今の告白じゃないからね」「えー? そうなのー?」「そうならちゃんと言うし」「あ、そう。うふふ」「漱石の時代とは違うんだよ」  ドキドキを隠せないまま、二人は歩く。 「んじゃあ、はっきり言ってほしいな!」  意を決して女の子は言うのだが。 「……また今度ゆっくりね」  すっ、とかわされる。 「えー? なんでだよぉー」「今日は気分が乗らないから」「……。」  もう一度、魔法の言葉を発する男の子。 「……月が綺麗ですね。」「今のは告白でしょ?」「いや、おれは漱石じゃないから」「ウソだー」「どこが漱石だよ」「いや、なんかやけにあらたまってたし」「そう?」  とぼける男の子。月が二人を追いかけてくる。意を決して言う女の子。 「うぅ……。月が綺麗でございますなぁ」「今のは告った?」「そうだよ。どっかの意気地なしとは違いますから」  満月といえば、もう一つの伝説。 「……狼になっても?」 「いいよ」 (その一部始終を見ていた月が、おれには笑ってるように見えたんだ。)

正しいということ

「何のためにご本を読むの?」 「悪い人に悪さされないためよ」 「ふーん。本を読むといじわるされないの?」 「そうねぇ。何が正しいことなのかわからないと、何が悪いことなのか、わからないでしょう? 自分が正しいって言うためにも、何が正しいのか知ってた方がいいのよ」 「いじめられた時とか?」 「そうねぇ。世の中には騙そうとしないで騙してしまう人もいるのよ。何が正しいのか、っていうのをきちんと持ってることは大事なことよ」 「言い返すため?」 「うーん。自分が正しいと思えたら、少しは悩まなくて済むし、相手を説得することもできるのよ」 「どうやったら僕が正しいって言えるの?」 「それは難しいわね。いつも自分が正しいとは限らないのよ」 「ふーん」 「そういう時も正しいことを知る勇気があれば、正しい考えを身につけることができるのよ」 「ママも間違うことがあるの?」 「パパもママも間違うのよ。人間は間違えるのよ。でも正しいことを知ろうと思えば、正しい方に行けるでしょう? 本にはそれが書いてあるの。それは一生あなたを助けるのよ」 「本を読むよ。騙されないように」

孫のかおと人間ドック

 居間に夫と娘のふたり。娘の声だけが聞こえてくる。 「最後に健康診断受けたのいつ?」「え? そんな前なの。それっていつよ? もう歳なんだから受けた方がいいよ」「億劫なのはわかるけど……。60過ぎたら毎年受けないと」「生きてても死んでも一緒って、生きてる方がいいじゃない」「そんなこと言わないの! 健診予約しよう。ネットでできるから。なんなら人間ドックフルコース行く?」「まぁ、それは面倒よね。私も行くの嫌だし」「そうねぇ。とりあえずカメラは飲んでね」「私が小さい頃胃の手術してなかった?」「そうよねぇ。糖尿もあるし、絶対行った方がいいよ」「んじゃ、いま電話するからね」「何? 遅いか早いかだけだ、って、遅い方がいいでしょ。孫の顔見たくないの? 私まだ結婚しないよ。まだ生きててもらわないと」「でしょ? じゃ、健診受けてもらうからね」「いずれは死ぬって、当たり前でしょ? 長生きしたらいいことあるって、ね?」「ちょっと我慢したら、それで少しは違うんだから。病気見つかったら大変よ?」「だから行くんじゃないの」「父さんは長生きする気が無さ過ぎるのよ。孫の顔見せたいんだから」「まぁそのうちに。彼氏はい、ま、せ、ん!」「とにかく健診ね。近所のお医者さんでもできるはずだから、ね?」  ここで居間に入って行くと娘に話を振られた。 「お母さんも健康診断受けてるの? 受けなきゃダメだよ」 「そうねぇ。いいわよ。私は病気したことないし」 「そういう人の方が危ないっていうよ。その歳になったらいつ病気になってもおかしくないんだから」 「その前にお父さんよ。私はお父さんが行ったら、行くわ。ずっと行きなよって勧めてたのよ。あんたからも言ってよ。ねぇ?」 「いま言ってたのよ。頑固なんだから、もう」 「孫の顔が見たいもんだねぇ」 「ふたりの人間ドックとどっちが早いか競争だねー」

嘘ついて?

「なにか嘘ついて?」 女は男に言う。切迫した雰囲気が伝わってくる。終電である。 「愛してる。」 「嘘つき。」 女は泣きながら男に寄り添っている。その魔性は男を困惑させる。この後二人はどうするのだろう。私は電車の車内で二人を見ている。 「奥さんがいるなんて、嘘つき」 「……。」 車内が修羅場となっている。女はなおも笑いながら言う。 「なにか嘘ついて?」 「君を幸せにする」 「嘘つき。」 二人には周りの乗客は見えていないようだ。車内にはとても気まずい空気が流れている。ここにいる全員が二人の会話を聞いているようにさえ思える。すし詰めの終電。誰一人ここから逃れることができない。男も。女も。乗客の誰も。  そうして沈黙した電車は終着駅に着く。白タクに次々と人が乗り込んでいく。  二人は見つめあったまま其処から動かない。夜明けまでまだ5時間ほどある。街に溶け込んでいくふたりを見送って、私は家路に着いた。 このツイートを元に妄想して書きました。 「なにか嘘ついてください」って上司っぽい男性に泣きながら笑っている女のひとがいてつらいです終電です — 七重 (@46thu) March 31, 2017

自分を幸せにするということ、人を幸せにするということ

 高校から大学に上がって(正確には一浪挟んでるけど)、制服を着る機会がなくなった。私は服装がとてもダサかったんだけど、というか服に頓着しなかったんだけど、それで本当に「友達のような人」は蜘蛛の子を散らすように去っていった、っていうのをずっと覚えてる。男も女もみんないなくなった。  まぁそれでも残った子と付き合ったし、今でもその時付き合いのあった人たちとは付き合いがあるのだけど。たぶんいなくなった人たちは私が病気になったことすらも知らないと思うし、私のことなんてどうでもよかったんだと思う。  当時は学校とバイトでめちゃくちゃ忙しくて遊ぶ暇もなかったし、「そのこと」を直視していなかったけど、それが今の私の人間観みたいなものに繋がってるんだと思う。あの時、忙しくしたのも、否定を直視したくないからだったのかもしれない。  ダサい人と一緒に居たくないっていう気持ちはわからなくもない。ちゃんと人間を人として見てくれる人を選り分けてるつもりだったのかもなぁ。人格をきちんと見て欲しかったのかもしれないし、今でも、たぶんそういう思いはある。  あるいは、ファッションの所為にして、自分に対する人格否定を正当化していたのかもしれない。これは、自分がダサい所為であって、自分を否定されたわけではないんだって。本当に歪んでいたのは自分自身なのかもしれないし、そういうことって、自分ではわからないことだ。  あの頃、自分に寄り添ってくれていた人たちが、自分に何を見て何を思っていたのか、わからないでいる。コイツしょうがねえなと思ってたかもしれないし、昔からのよしみだからとか、何かしら抱いていたかもしれない。  僕は僕といると楽しいよとか、あんまり言えない。今の僕と接することは不幸を招くことかもしれないと思う。そのことに懐疑的だから、人に接触することを過剰に恐れているのだと思う。  たぶん僕たちは、人を不幸にすることも、幸福にすることも、簡単に安易にできる。幸福にしようと思って行動しさえすれば、きっとそうなれるのだろう。しかし自分の幸福が人の幸福でないことも多くあって、だから人生は難しい。  自分が人と違うってこと(自分の違いを感じ、悩むのが人の常であるとさえ僕は思う。僕の場合そこに病気も含めてもいい)を、僕はどう了解したらいいのかわからない。どう自分を幸福にしていったらいいのか、わからないでいる。

フタリ

 そのオトコは自分を正当化している。病気だとか、収入だとか、人間関係だとか。いろんなことをそうあるべきことにしている。しかし、それはまやかしである。間違っていることについては間違ってるのだ。一生自分を正当化して生きる人もいるのだろう。自分のしたいことを蔑ろにしたり、見て見ぬ振りをしたり。適度で都合の良い理由なんて簡単に見つかる。やらない理由や言い訳はいくらでもわいて出てくる。  そういう心の弱さは誰でも持っているものだ。そのオトコも例外ではない。きっといろんな理由からオトコは独りぼっちだし、いろんな理由から独りでは生きられないのだ。周りに人がいるからといって人を独りぼっちでないとは言えないし、独りで生きていないとも言えない。  オトコは独りで生きることはできず、かつ、独りで生きておらず、かつ、独りである。  それは総てが自分が逃げて起きた結果であるとオトコはまだ気がついていない。消極的だとか積極的だとかいっているのではない。言い訳を重ねた結果、今ここに立っているのだ。運の悪いことに病気になった。病気になったことは言い訳の所為ではないが、その結果感じているこの感情はオトコの所為である。  人は自分を正当化する生き物だ。自分のしたことをどうしたって肯定したいし、否定もされたくない。常に自分のしたことは正しかったと思いたいのだ。間違っていたとしても目を背けがちであるし、認めたくもない。過ちが過ちにならないことなんてこの世にはいくらでもある。法律だけが過ちを規定しない。自分を裏切ること、そむくことは常に過ちである。そのしっぺ返しは常に自分が受ける。  そしてオトコはそのオンナと駆け落ちしたのだった。  オトコはオンナに溺れ、オンナはオトコに溺れる。そうやって慰め合っている。それではいつまでも幸福にはならないはずなのに、それで様になってしまうのだからダンジョ関係というのは恐ろしい。しっくりくる二人を引き離すも者はないし、言い訳は増長するばかり。自分たちを裏切り続ける二人。蔑ろにしつつ、二人は幸せなキブンになっていくのだった。

台風一過

「きのうなに食べた?」  男は女に訊く。 「なに急に」「いや、なに食べたんだろうと思って」  女は正直に答える。なんなんだと思っているようだが、答えられない質問ではないし、応えられない相手でもないようだ。二人は公園のベンチに居る。昨晩の台風が過ぎ去って、池の柳の木は太い枝が無残に折れている。今日は台風一過だ。 「んーと、ゴーヤーチャンプルーとかさつまいもの煮物とか」「ちゃんと食べてる?」「食べてるよ。ほんとにどうした」「いや、なんとなく心配になって」  女はそれが愛の表現であると気がついていない。人は食事しなければ生きていけない生き物である。女は心配されるほどに痩せている。 「心配には及びませんよ。健康だし、食べてるよ。大丈夫」「そう、なら良いけど。この間のお見合いどうだった?」  男はドキドキして訊いているのだろう。おそらくこれが訊きたかったのだ。公園まで女を引っ張り出してきたのもおそらくこの為だろう。 「うーん、お見合いなんてするもんじゃないね。良い人紹介してよ」  通りがかった人が折れた柳の写真を撮っている。管理者に報せるのかもしれない。男はほっとしつつ応えるている。 「えー? それ、俺に言う?」「? なんで?」「いや別に。うーん。どんな人が良いのさ?」  男は尚もドキドキしているようだ。しかし勘付かれていないのは、好都合だし、不都合なのだと思う。この矛盾した自分をなんとかいい方へ持って行きたいと思っているに違いない。 「んーとね、んー、ちゃんと自分を持ってる人」  女も正直そうに答える。お座なりにできるような相手ではないし、少なくとも女にとって、誠実にしていたい相手なのだ。男は運がいい。 「なるほど。俺にはどんな人が良いのか訊かないの?」「えー? いいよ別にぃ。てか彼女いないんだ? ふーん」「そうだよ、……お買い得だよ」  ふと出た言葉。これは本心なのだろうか。不意に一気に迫ってしまったようだ。 「ふーん」 「……。」  たまらない沈黙が流れる。女が破る。柳を眺める人がもう一人来る。ジッと見ている。けっこう太い枝である。 「だまんないでよ」 「そっちこそ」  なんとなく気になることがふっと女の口を衝いて出てくる。 「きのうなに食べた? そっちこそちゃんと食べてんのかよー」「俺はコンビニ飯とかカップラーメンとか。台風で外出るの怠くて」  女からの途端に距離の縮

きょうも地球は

 このなにもない宇宙に、僕は今いる。何もないように見えて、実はなにかがあるのではないかと来てみたけれど、本当に何もない。ネットは通じるし、星はとても綺麗だけど、この閉鎖空間に、あるものはほとんどない。  限られた人間だけが来ることのできるこの空間に、僕は今いる。ここで過ごす日々は、この無重力空間は、とても楽で、しかし、何かが足りない。足りないものだらけなのだけど、満たされてもいるかもしれない。私は選ばれてここに来たのだ。それは誇っていいはずであるのに、なぜか、そうできない自分がいる。自分の仕事を命をかけて全うすること。私は命をかけてここに来て、仕事をし、いや、これは仕事なのだろうか。時々思う。なぜ私はここにいるのだろう。宇宙を見ていると何もかもがどうでもよくなるときがある。投げ出したいわけではなくなんとなく虚しくなる。宇宙に人が暮らしておかしくならないわけがない、と思う。ここは無重力空間、何もない場所。そして、君のいない場所。  僕は命をかけてここに来て、命をかけて地球に還る。君のいる土地に。毎日君と通信しても、私は満たされた気持ちになれない。ただの気休めに過ぎないと思う。どうあっても地球に帰りたい。私は死ぬのが怖い。独りだったなら、そう思わなかっただろうか。やはり、死ぬのは怖いことだと思う。君を懐(いだ)けない怖さを私は知ってしまった。  この『旅』のさなか、地球で父が亡くなった。父に叱られることも、もうない。  宇宙船のブーストが、宙を切る。ここから切り離されて、君のもとに真っ直ぐに向かう。私は、宇宙を愛していただろうか。私はここで死んでも構わないと思えただろうか。宇宙は、私を愛しているのだろうか。  愛を超えたところに私はいて、でも、愛を超えられない。私は地球に還りたい。君に逢いたい。愛の審判は来週下される。それは命の審判であり、宇宙のしめしなのだ。  全ての私に関わった人間を、私は信じている。その気持ちが私を穏やかにする。だから私は宇宙に来ることができたし、陸に還ることができるだろう。  父は逝ってしまった。新たな命はもうすぐ生まれる。私は地球に還る。生命は一つ減り、一つ増え、そして一つ還る。  今日も地球は在る。

独りと一人

 図書館の自習室に入ると、話し声が聞こえてきた。誰かが喋っているようだけど、一人の声しか聞こえてこない。なんとなく声の主が気になってのぞいてみると、独り言をいっているらしい。男の人。迷惑な話。  本人は話してないつもりなのだろうけど、脳内話声が筒抜けである。思ったことが口をついて出てきてしまう質の人らしい。こんな声が聞こえてくる。 「今日の夕飯何かなー。カレーがいいなー。あー、カレー食いたくなってきた。メールしてみよっかなー」  結構はっきりと言っている。耳栓しているわけでもイヤフォンしているわけでもないようだ。今晩の夕食のレシピの予定までわかってしまった。ここにいる人みんなカレーの気分になってるだろうなと思う。 「あっ、LINE着てんじゃん。」男はまた囁きだす。この場で電話でも始めるんじゃないか。「おっ、今晩カレーじゃん、よっしゃーすげー!」すごい奇跡を目撃した。以心伝心とはこのことか。それにしても迷惑なのだが。誰か黙らせろよ。  この自習室にいる全員が意を同じくしていると、エアコンを調整しに職員の人が入って来た。注意してくれるかもしれない。 「……。」  しかしこんな時に限って独り言を言わない男。なんだか笑えてくる。職員が出て行くと共に(ちっ)という舌打ちが聞こえた気がした。みんな固唾を呑んで男の独り言に耳を傾けている気がする。  と思うと同時くらいに男が泣き出したのである。男泣き。(どうした!?)という雰囲気が室内に漂っている。「男の子かぁ……! 名前どうしよう」(産まれたの?!)全てを察した部屋の人々はみな、それなら早く帰れよ、と思っているに違いない。 「よし、帰るかぁ。勉強の今日はおしまい。任務完了だし、病院だな。そのあとカレーだな。今日はいい日だな!」(ほんとだね)とみんなが思ってるに違いない。謎の一体感。  産まれてくる子供のあだ名は『カレーくん』だな、と私は思った。
 原因がわかったので、やはりこちらに書いていくことにしました。それなりに愛着も出て着たところだったし、足掻いてよかった。二転三転してしまいますが、例のTumblrは機を見て消すと思います。  引き続きこちらのブログ『おとなが忘れてしまったこと、子供がまだ知らないこと。』のご愛玩、よろしくお願いいたします。

秋のふたり散歩

「台風来るねー」「そうなの、知らなかった。」「雨降ってんじゃん。外の飛びそうなの片付けといたから」  今年は水害の多い年だ。各地で50年ぶりとか散々言って、この台風も何十年ぶりの勢いらしい。いつものように、私たちはやり過ごそうとしてる。 「そう。明日休みなのに外出れないね」「そうだね。明日は休みなんだ?」「うん、休みでしょ?」「いや、仕事」「えー、、」「いつも通り出社でございます、たぶん。電車が動く限りは」  私たちは一緒に暮らしてもう何年か経つ。たまたま息が合って、暮らし始めた。とりとめもない話をして、互いが空気みたいで、だけどなんだか愛おしくて。 「そうなんだー、どうしようかな」  私は一人でいるのも好きだし、この人といるのも好きだ。どっちでもいいし、どっちでもいい。 「まだ雨降ってるだけだし、今から散歩する?」「うん、着替えるね」「喫茶店行こっか」「うーんだったら、家でお茶にしようよ。この前買ったハーブティがあるの」  家にいるのもいいし、出かけるのもいい。なんとなく趣味も合って、でも合わないところもあって、でも尊重し合える関係。互いに入り込み過ぎないし、詮索し過ぎたりもしない。 「あ、彼氏と買ったやつだ」「えへへ」「んじゃあ、幸せを分けてもらいましょうかね」「年内に家出るって言ったじゃんか」「うん?」「あれ、無しになった」「そうなの 私はうれしいけど」「うん」「そう。喧嘩した?」「いや、そうじゃないけど」「ふーん」「いろいろあんのよ。おりゃー」  私たちの暮らしはまだ続くらしい。彼女が出て行ったら、私は此処に一人で暮らすつもりだったから、彼女が残るのはうれしい。何があったのかも詳しく訊いたりしない。ただこの子がいてくれるのがうれしい。  台風が行ったら、良いことあるだろうか。こんなにうれしいことがもうあるだろうか。台風が連れて来た報せは、台風と共に連れて行ってしまうだろうか。こんなにうれしいことないのに。こんな暮らしがずっと続けばいいのにって思う。
自分の思い通りに文章を書くのにストレスなので下記ブログに移転します。 feedの変更などありましたら、お手数ですが変更くださいますよう、よろしくお願いいたします。 このブログはしばらくは残しておくつもりです。 花に嵐の喩えもあるさ、 https://hana-ni-arashi.tumblr.com/

それ故の彼:ReWrite

   僕たちはこうして仕事のあと二人で集まって話をする。いつもする。仕事が忙しいし、休みの日が同じでないので会う時間がないのだ。だからこうして仕事終わりに公園のベンチでデートする。とりとめもなく話すのは楽しい。 「いとくん辞めちゃったね。あたしたちのこと知ったからかな?」 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないけど、気に病まないことだよ」 「そうだよね……。忙しくなるね、これから。人足りないね。……デートできんすね」  同僚のいとくんのことをこうして話すのは初めてだけど、二人ともなんとなく察していた。彼が辞めたのは、僕たちに対する仕打ちだったのではないか。 「一緒にこうして仕事終わりに話せたらいいよ。一緒の職場なんだし」 「三人でこの前呑んだとき。あの帰りの朝、いとくんとみた花が忘れられない。すごく綺麗だったの」  僕たち三人はよく三人で呑んでた。グダグダ何を話すわけでもなく、そうしてるのが楽しかったのだ。 「ふーん」 「オールしたからかなんか目が冴えてて、やたら輝いて見えたの」 「酔っ払ってたんじゃないの」 「そうかもね。なんかやたら瑞々しいというか。霧吹きでも掛けたみたいだった」  いとくんの話をする彼女は目がうるうるしてる。なんだか嫉妬してしまう。いとくんは仕事もそれなりにできるし、彼がいなくなるのはやっぱり僕たちにとって痛手だった。 「いとくんが辞めたの、やっぱり俺たちのせいかもな」 「うん……。ね」 「俺たちのこと、もっといろんな人に応援してもらえてたら、こんなことにはならなかったのかも」  2ヶ月くらい前から僕たちは付き合ってる。二人のことは知っている人は知っているけど、職場の全員が知ってるわけじゃない。上司と、僕たち二人だけ。 「なんか、隠しちゃってたもんね。そんなつもりなかったけど」 「結果的には、ね。いとくんはずっと知らなかったわけだし」 「そうだよね。あたしたち、裏切るつもりじゃなく裏切ってたのかも」  恋愛に不慣れな僕たちはそのことをどう人に伝えたらいいのかわからなかったのだ。闇雲にことは運んだし、上司が知ったのもたまたまだった。なんとなく、いとくんが知ったらどうなるのか、見当がついていたのかもしれないと思う。 「いとくん、君のこと好きだったんじゃない

それ故の彼

「いとくん辞めちゃったね。あたしたちのことわかったからかな?」 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないけど、気に病まないことだよ」 「そうだよね。忙しくなるね、これから。人足りないね。……デートできんすね」 「一緒にこうして仕事終わりに話せたらいいよ。一緒の職場なんだし」 「三人でこの前呑んだじゃん。あの帰りの朝、いとくんとみた花が忘れられない。すごく綺麗だったの」 「ふーん」 「オールしたからかなんか目が冴えてて、やたら輝いて見えたの」 「そうなんだ。酔っ払ってたんじゃないの」 「そうかもね。なんかやたら瑞々しいというか。霧吹きでも掛けたみたいだった」 「いとくんが辞めたの、やっぱり俺たちのせいかもな」 「うん……。ね」 「俺たちのこと、もっといろんな人に応援してもらえてたら、こんなことにはならなかったのかも」 「なんか、隠しちゃってたもんね。そんなつもりないケド」 「結果的には、ね。いとくんはずっと知らなかったわけだし」 「そうだよね。あたしたちは裏切るつもりじゃなく裏切ってたのかも」 「君のこと好きだったんじゃない?」 「ないよー。ないない。絶対ない」 「そうかなぁ? なんでそんな言い切れるのさ」 「うーん? 勘かな」 「今度の送別会で訊いてみたら?」 「無理」 「ですよねー」 「あたしたちいとくんのこと弄んでたのかな。もっとやりようがあったんじゃないかな。こんな風にしか結ばれなかったのかな、あたしたち。いとくん辞めなくて済んだんじゃないかなぁ」 「でも、もう無理だよ」 「うん……そだね。あたしたちだけでも楽しくやらないとね。人不足だけど」 「また三人で呑みたいねー。卒論終わったら会えるのかな」 「それは訊ける」 「んじゃ、よろ」

習慣についての一考察

「なんでこんなとこにCDと本置いてるん?」 「あぁ、それ? あとで聴こうと思ってて」 「ふーん、いちいち出しておくの?」 「そう、忙しいと忘れちゃうから。聴きたい気持ちとか、読みたい気持ちだけ残って、何聴きたいんだっけな? って忘れちゃうから。くだらないよね」 「まー、わからないでもないけど。時限爆弾みたいね」 「そうそうそんな感じ」 「ふーん」 「こういうこと、フィジカルだからできるんだよね。mp3とか電子書籍でやるのは面倒だもの。表示させるならその場で聴いたり読んだりするし。そうできないから、お気に入りのはフィジカルの物を買うことにしてるの」 「ふーん」 「何かを習慣にするのって難しくない? 効果的なやり方がいろんなことに隠されてると思うんだけど、つい忘れちゃうのよね。だから、次に読む本コーナーとかCDコーナーを作ってあるの。気が向いたらそこにそれをどんどん置いていく、みたいな」 「習慣ねー。やろうと思ってたこととか、すぐ忘れちゃうのよね。忙しいと特に。パッとメモとかできたらいいのに」 「毎日のことだからね。そうすることにしておく、ってことさえ忘れ去れちゃわない?」 「乗り気じゃないのかもね、心のどこかで。人に言われたことはあんまり習慣にならないし。かといって自分でやろうと思ってたことが全部習慣になるわけじゃないし」 「一度だけやることと、毎日やることと、本質的にはたぶん一緒よね」 「そうかなぁ」 「毎日一回目をやってるんだよ。その度に何をどうしたら良いか考えたらいいよ」 「朝起きてからするべきみたいなことが何個か習慣としてあるんだけど、つい忘れちゃうんだよね。必要がないってことなのかな」 「そうかもね。理由があれば残るんじゃないの。多いならリストを作るといいかもね。そもそもリストを作ることを習慣化するとかさ」 「そういうの、いつやるべきなのかなぁ。寝る前?」 「どうだろね。私はだいたい朝起きたらトイレ行って体重計乗って体温測ってコーヒー淹れつつ歯磨いて、って習慣になっちゃった」 「へー」 「全部必要なことだから。忘れるってことは必要でもなかったとも言えるのかもね。それに習慣になってることを壊すのも怖いもんなのよ」 「そういうもんかー。ふーん」

僕にとってはあなたはあなただ。

 あなたの思ってる私は私そのものではない。私は私を見て私を好きになってほしいし、私を見ずにただ私の外面を好きだと言われても、私を否定された気分になる。私が私を否定された気分になるのは、私が卑屈だからだけど、そちらが私の本質であって、あなたの見ている私は私ではないと思う。  あなたの本質とは? 僕にとってはあなたはあなただ。私の見ているあなたが私にとってのあなただ。卑屈だろうがなんだろうが、あなたはあなただ。  それで私を愛してると言えるの? あなたが見ているのは私の一部でしかない。私のかけらを愛して、それで愛してると言えるの?  君は本当の自分を知られるのが怖いのだろう。本当の自分があからさまになることが怖いのだろう。一部でも愛しているなら、それで十分だろう。どのみち人間のすべてを知ることなんて、できないんだから。  私は私のことをある程度知っている。でも、私が私のすべてを知っているわけじゃない。私は人と接することが嫌なの。人に愛されるのも面倒。嫌なの。私は私を以って自分を知りたいんであって、人を媒介にして自分を知りたいわけじゃない。  つまり、本当の自分を人に知られるのが嫌なんだろう。醜い自分を人に見られるのが嫌なんだろう。自分一人で自分を了解したところで、それは自分一人でいる自分でしかない。この世には人が大勢いて、そのそれぞれに対して人はいろんな顔を持つ。ある人に対しては良い人でも、またある人には嫌な顔を出すものだ。誰にでも良い顔をすることはできないし、何かしらみんな抱えてるものなんだよ。  私は自分のこと、どう思われてもいいと思ってたけど、それはたぶん違うのよ。あまりにも人と接してこなかったから、誰かと関わりたいってだけなのかもしれない。どう思われても良いってことはないわ。よく思われたいし、人に嫌われたくはない。  ほら。人と接したいんじゃないか。  いや、でも、人に好かれるならそうしたい。でもそうじゃない。いつもそうなわけじゃない。  誰にでも好かれるなんてありえないよ。人に嫌われることを恐れていたら、何もできない。自分だけが自分を知って、自分だけが自分を愛して、一生一人で過ごすか。あるいは人に嫌われつつも、人に愛され、自分のしたいことをするか、だ。  人に嫌われるのも、自分の嫌なところを見るのも、イヤ。  だっ

或る庭園

 「この庭には全てがあるのね。美しい詩、音楽、論、それにあらゆる法が。そのどれもが素晴らしい」  紛れ込んだ庭にある、棚に納められた『それら』はこの庭に訪れた人々が残していったもの。『あらゆる』それらは人の心を魅了する。これだけでこの庭に居続けるのに充分である。今までも、きっとこれからも、こうして訪れた人間の心を奪い、またその書庫を充実させていくだろう。  庭の主は、それを見つつ言う。 「この庭にあるもの以外に、次の世に伝える価値のあるものを人間は造れなかったのだ」  訪問者は様々な動物に囲まれ、楽器の前に座り、虜になってしまっている。過去の訪問者はどこに行ったのだろう。この宝を前に立ち去ったというのだろうか。譜面を読むに何百年もこの場所は存在しているようだ。なぜ主ひとりしかいないのだろう。  「どういうこと? この庭にないものは価値がないということ? 本当にそう言い切れるのかしら」 「この庭には全てがあると言ったのは君だ、訪問者よ。君はこの庭に何をもたらすのだね。楽しみだ。早く見せておくれ」 「私はこの庭に値するものは何も持ってないわ」 「だとしたらなぜこの庭を訪れた? なぜここに入ることができたのだ!」 「わからない。ここはなんなの」  そう言った瞬間に動物たちが人語で喋りかけてきた。 (ここを去ってはいけない)(ここを出てはいけない)(出てはいけない)(いけない) 「なんだろう。なにを言っているのだろう。突然」 (ここを出てはいけない) 「出ないわよ。こんな素晴らしいものがたくさんあるのに。ここは知識の、芸術の宝庫だわ」 「これらを得るだけではダメなのだ。何かを与えなくてはならない。お前の得る愛は、お前の与える愛と等価でなくては」 「ここにいてはならないということ?」 「そうだ。楽器から手を離すのだ。今すぐにここから出なければならない」 「そう……。残念だけど、それがここの掟ならば。これだけの量の、これだけのものがあるのだから、かなりの権威による庭なのでしょう」  庭には甘い匂いが漂っている。なんでも言うことを聞かなければならない気持ちになる。  「出るわ。この庭を」 「出口まで案内しよう。これは餞別だ。庭を出たら食べるといい」 「ありがとう。残念だわ。こんなに素晴らしい

かたぐるま

 今年の春に中学に上がったばかりの娘に居間で頼まれた。 「肩車して欲しいんだけど」 「ん? 良いけど、なんか取るのか?」 「いいからいいから」 ほら、と言いつつ私は屈む。娘が小さい頃にはよくこうして肩車していたものだと思う。成長するにつれて私の腰痛もあってだんだんとしなくなったし、娘も求めなくなってきた。なのになんで突然。肩車なんて、何年振りだろう。 娘を肩の上に乗せる。 「もういいよ」 「なんだ、もういいのか」 「うんもういいの」 「なんか取るものがあったんじゃないのか」 「違うよ。」 「そうか」 そう言って私は居間を去ろうとする。背後に聞こえる声。 「これで最後だからね。」 「?」 「肩車。これで最後だからね。」 「そうか」  娘はなんだかんだ成長しているのだな、と思う。大人になったとはまだ言えないけれど、彼女なりの父親との決別の儀式だったのかもしれない。まだまだ先のこととはいえ、いろいろなことを想った。将来、私は結婚式でこのことを思い出すかもしれない、思い出さないかもしれない。たぶん、誰に言うことでもないし、どうとでもないこのエピソードは、私と娘にとっての大事な儀式であった。娘もそう思っているだろう。そう意識できることは私にとって幸福なことだった。  どんな親娘もこういう儀式をするのかもしれない。それが私たちにとっては肩車だったというだけで。

9月中に緘黙症状を寛解させる

*今日決めたこと。  9月中に緘黙症状を寛解させる。できる。あらゆることを尽くすことになるけど、できないはずはないと思ってる。その後のことも考えているし、未来は未来だけど、できないことではない。とにかく、今月は喋ることに集中する。喋るように自分を持っていくことに注力する。そのためにできること、するべきことを、とことんする。9月は30日までだから、その日までに普通に喋れるようになることを目標にする。目標というか、義務くらいにしたい。そうあるべきだと思う。 *なぜ喋りたいのか。  なぜなら、人と関わることをもっとしたいからだ。私は人が好きなんだと思う。もっと人間というものを知りたい。人の面白さを知るためには、喋ることは必須であると思う。喋る以外に人と人が面と向かって和むことはない。親しくなることはない。障害は障害だけど、やはり障害だと思う。  ここ数日、人と人が出会うことをテーマにした文章を主に書いてきたけれど、これらは私が人のことを想うきっかけになった。  私は人が好きなのかわからなかった。嫌いだとも言えるし、好きだとも言えたと思う。どちらかというと嫌い寄りだったかもしれない。人と交わることで起こる想像は全て嫌なことだった時期もある。  だけど、必ずしもそうでもないのだな、と思うようになった。それは文章を書くことでそう思うようになったのだ。これは明らかなこと。文章を書くことが楽しいのは、人のことを知っているからだ。人のある側面を切り取ることに、私は喜びを感じる。様々な妄想や、想像は、人と接していたから生まれたことだ。全てはその萌芽を得ていたから書けたことだ。  だから、書くことが楽しいってことは、人と接するのが楽しいのと同じなのだと思う。というか、そう解釈することにした。人と接することにはいろんな面がある。そういうことすべてを書くことが私の喜びだと思う。人と接することなしに、文章を書くことはもう適わなくなった。ネタ切れとかじゃなくて、好奇心はもうそこまできているということだ。書こうと思えばいくらでも書けるが、人と接した方が書けることは目に見えているし、その方が楽しいということもわかっている。人と接していたから、書ける。人と接するから、書ける。そういう循環に入りたい。 *今(9/10時点)できていること。  医師との問診では

だから人の生は面白いんだ

 夏が終わって、秋に成ってく感じがたまらなく好きだ。暑さからの解放。秋の風が好き。冬から春になってくあの温もりも好きだけれど、秋の風に勝る風はない。夏のジワジワ暑いのも冬の刺す寒さも春のポカポカも好きなのだ。しかし移ろっていくうれしさは、この季節をおいて他にない。 ***  双曲線のこぶと直線が近づいていく。交点にできた淀みに解ができる。交われば交わるほど解は深くなってく。 ***  わたし達はそんな季節に、そんな風に出会った。移ろってくうれしさを、わたし達は体感する。交われば交わるだけ、深くなる。知ればしるほどに愛おしくなる。  出逢って、どれだけのことが変わったろう。きみはぼくの喋り様が憑ったみたい。ぼくだって何らかの影響を受けているだろう。やりとりに使う絵文字とか、語尾の一言とか。たぶん互いに互いを気づかないふりをして、このまま過ごしてくだろう。  あなたが居ることでわたしはわたしでいられるような気さえする。あなたの存在が、存在感が、わたしを品行方正にする。ここまでいろんなことにこうして打ち込めたのは間違いなく、あなたが在ったからだ。  きみの言葉でそう聞いたわけではないけれど、きみにとってのぼくもそうであったなら、こんなにうれしいことはない。  もしそうなら、これからだってきっとうまくやっていけるだろう。  そうして切磋琢磨し合える関係ならば、どんな困難だって、苦しみでも難でもなくなるだろう。そうして刺激し合える関係ならば、わたし達はずっと一緒にいるべきだと思う。わたしは、一人で生きられる。あなたも、ひとりで生きられる。だけど、一緒に生きるのならば、あなた以外にいないだろう。  この季節に出逢い、交わる。それは、まるで必然であったかのように今ここに在る。こうしてきみを感じ、ぼくを感じさせることが、ぼくときみの幸せである。それはふたりが生きているあいだ、関係を持ち続けるのなら、ずっと続くのだろう。だからわたしは快活として生きられるし、それはきっとあなたも同じ。  夏と秋が、交わってく。双曲線と直線が、交わってく。  だから人の生は面白いんだとぼくは思う。この辺に永遠はありそう。

こうして僕たちは出会った。

 こうして僕たちは出会った。この出会いはきっと、他の出会いとは違っていて、ただ出会ったというだけでなくて、有り体に言ってしまえば互いの運命を変えるような出会い。たいていの出会いが、そうじゃねえかと思うかもしれないけど、そんなことなくて、ほとんどの出会いは運命なんか変えなくて、ただ出会いなんだ。  そんなわけで僕たちは出会った。何度も言うけど、ただ出会ったんじゃなくて、互いが互いのことを尊敬している出会いだった。だから運命だって変わったし、その関係を大事なものにしようと思ったのだ。  僕たちは互いが片想いみたいにして過ごしてる。別に両方から想ってなくても構わない。ただ私はあなたのことを慕ってる。それだけでいい。あなたのことを感じられるだけで幸福。そう互いに思ってる。だからうまくいくのだと思う。  君がこれからどんな面を見せようとも、その全てを許せる、とは言わないけど、けっこう許せる。それは自分だってそう。僕は完璧じゃないし、君には都合の悪いこともたくさんあるだろう。人間のうちに完全な人などあり得ない。そう心得ているなら、僕たちはたぶん大丈夫。  何かあって、けんかになれない相手とは男と女になりたくないと君は言うけど、もうとっくに僕たちは離れ得ない何かを互いに持っている。互いに裏切ることもなく、しかし期待に応えるというわけでもなく、ただそう在るだけで、僕は君が愛おしい。君が愛おしく思ってくれていたらうれしいけれど、それは確認するまでもない。「きっと」という言葉を使うまでもなく、僕たちは互いの気持ちを知っている。  僕はきっと間違いも犯すだろうし、君だってそうかもしれない。だとしても互いに互いを支え合うことができたなら、僕たちはきっとうまくいくだろう。互いの欠点を補完し合い、僕たちは生きていける。互いが互いを強く必要とし、しかし互いがいなくても生きていける。だけど、共に誰かと生きるのなら君がいい。  僕は君にそう言いたかった。

落ちる落ちる落ちる

 「今日はゆっくりだね」「ちょっとオチてて」「そう。そういう時、どういう風にして欲しいの」  コーヒーを淹れながら彼女が尋ねる。もう昼過ぎだというのに僕はやっと起きてきたところ。今日は何も予定がなかったのがさいわいだった。助かった。  「別に、いつも通りでいいよ。自分で処理するし。何かすることがあれば、なんとかするし、言うよ」「そう」  彼女と暮らしてまだ間もないけれど、こうして訊いてくれるだけありがたい。互いが空気のようになってしまうカップルは多いし、僕たちはまだ日が浅いから助かったのかもしれないと思う。心配してくれてうれしい。  「うん。別に優しくして欲しいわけじゃないし、いつも通りにしてくれたらそれでいいよ」「落ちるの、つらい?」「まぁ。でもしかたないね」  彼女は天真爛漫な性格で、落ちるという感覚はないらしい。こういう人に惹かれるものなんだな、と我ながら思う。  「けっこう頻繁になるの?」「そうでもないね。怒鳴り声がダメなんだよね」「ふーん。気をつけるけど、怒りの気持ちは抑えるの難しいわ」  人類が怒りの衝動を抑えることは難しい。僕は今までにもいろんな『事故』に遭ってきたし、これからもそうだろう。この身体に生まれたからには仕方ない。  「わかってる。別に人が悪いわけでも、僕が悪いわけでもないよ。ただそうあるだけだよ。怒鳴っている人がいたら、遠ざけるだけ」  できる限りの事をしようと思ってる。そうでなければ、立ち行かなくなるのは自分なのだから。  「それは、病気?」「たぶん。よくわからない。なんていうか、何もする気が無くなってしまう。頭の中がそればっかりになって、嫌な思考がリピートしてしまう」「そうなの。怒鳴り声がトリガーになってしまうのね」「うん、たぶんそんな感じ」  彼女は笑ってこう言う。  「つらいわね。楽しいことしたいわね」「そう言ってくれるだけで助かるよ。理解できなくても認めて欲しいし、そうなんだって、わかってて欲しい」  僕も笑う。だから僕はこの人に惹かれたのかもしれない。  「トリガーは他にはないの?」「わからない。怒鳴り声が聞こえただけでモヤモヤしてきて、それが深くなるとしんどくなってしまう」「いわゆる鬱みたいなことなのかしらね」「うーん、よくわかんない。なんていうか、何も手につかなくな

落ちゆく脳細胞

 寝ても寝ても足りず、どんどんと落ちていく。まどろみの中に、渦の中に、暗闇の中に。こうして意識を失っている間だけ、私は人間としていられる。落ちていく。眠りに。誰も信じることができない境地に達しても、それでも生きなくてはならない。私が生きているのは生かされているからに過ぎないが、それでも私は生きる歓びを失ってはいない。眠りに落ちていく。今はとりあえず眠ろう。とにかく眠ろう。それで全てが解決する、かもしれない。とにかく今はまどろむのだ。  こんな夢をみた。  ギターについたガムテープを剥がした後のネバネバを取っている。それを取り終わったら1階にいる母にギターを見せにいくことになっている。そうする前に少し寝よう。ベッドにギターを横たわらせ、自分も横になって眠る。  起きると、自分も夢から覚めていた。何かの義務感がこんな夢をみさせたに違いない。  やたらと昔のことを思い出す。大抵は私を非難する内容の妄想をしてしまう。落ち込みは余計にひどくなる。  どんどん潜っていく。落ちていく。  誰が悪いというわけでもなくて、ただ自分は存在していて、人もただ居て、それで私と関わって、それぞれの人生がある。ただそれぞれの方程式、ただそれぞれの仕組みに乗って、習慣に乗って、何かを思い、行動しているに過ぎない。私たちはそうやって歳をとっていくし、人を好いたり傷つけたりする。そういうものなんだと思う。  恨みに思っていても仕方なくて、ただただ許すことでしか救われない。だけど、もう関わりたいかといったら嫌で、それは私をこんな気持ちにしている元凶であるから。こんな気持ちになってしまったからにはもう普通ではいられない。過去に起こったことは平等に私の元に降り注がれてくる。そのはずなのに私を非難する内容ばかり頭に思い浮かぶのは、私がそういう病気であるからだと思う。  起こってしまったことをどう思っても仕方なくて、ただ許すことでしかない。そう在ってしまったこと、楽しかったこと、苦しかったこと、気持ちよかったこと、うざかったこと、気持ち悪かったこと、胸糞の悪いこと、全てがすべて、私である。この頭の中にある、すべてが私を構成している。記憶こそが私であるとさえ思う。これを失うのなら、私は私でなくなるだろう。  ただ落ちていく。眠りに。そうすることで私はなんとかなるかもしれない

イメージと夫婦関係

 「きっと君はこうすると思ったよ」「そう、私はあなたのいいなりになるつもりはないし、言うけど、こうすると思ったことはあなたの幻想なのよ」「……どういうこと?」「私はあなたがこうして欲しいと思ったことをしただけに過ぎないってこと」「……つまり?」「人を思い通りにしようなんて、簡単じゃないのよ、あなたの思い通りになったと思うことは、そのほとんどが私の気遣いなの」「……。」「夫婦だとしても、夫婦を装っているだけなのよ。ただ気心が知れている間柄を演じているに過ぎない。あなたが良い気分でいられるのなら、それで良いと私は思ってきた」「ずっとずっと俺はお前の掌の上だったってこと?」「夫はいつも妻の掌の上よ」「ぞっとする。そういうことを言ってしまう君に」「夫婦ってなんだったんでしょうね。私にはわからないわ。ただ一緒に暮らしてる人? こんなにも向き合わないのに、愛してるだなんて、可笑しいわ。思い通りになるという幻想にも気がつかないのなら、そんなもんなのよ」「……。」「この人はこうであると決めた瞬間に、その人はそうでなくなるのよ。私たちはいろんなものを着込んで生きているけど、それを脱ぐ時もあるし、側からはそう見えたとしても、違うものだってこともある」「君のことを見くびっていた。そんなこと考えていたなんて」「こうと決めたイメージから逃れたいのよ。期待は裏切りたいし、固定されたイメージを愛されることを拒むものなのよ。私は私を愛して欲しいし、私のイメージを愛されたいわけじゃない。私をどういう風に思ってるかは、なんとなくわかってるけど、それが私の全てではない。こういう人間だから、こうするだろうという意図に私は嵌まりたくない。夫婦だとしても」「君だって俺のことをこういう人間だと思っているだろ」「でも私はあなたのこと、あなたの実態を見つめてたと思う。あなたはそうではなかったけど」「……。」「大事に思うんなら、更新し続けることよ。私はずっと変わってきたし、これからも変わって行くでしょう。あなたが私だと思っていた私は、私のイメージでしかなくて、あなたの知らない私もあるし、あなたに全てを見せているわけでもない。私をもっと見て欲しかったし、偶像を愛してる人を愛し続けることなんてできない」 *この文章は昨日の文章: イメージの相手と本当の相手 ( https://otona-to-k

イメージの相手と本当の相手

 自分の作り上げた相手と、本当の相手。たぶんぼくが実際に向き合ってるのは、自分が作り上げた相手だって思う。相手と実際にいる時間よりも、相手を想ってる時間の方が圧倒的に長い。人間同士の齟齬はそこから生じるんだろう。自分の作ったイメージに人は縛られる。でも実際はそのイメージ通りとはいかないこともある。大抵それはイメージでしかない。  向き合うってことはイメージと向き合うんじゃなくて、相手その人、本人と向き合うってこと。実物の人間と向き合うということ。それを避けた瞬間に、食い違いは生じる。たぶん、必ず。  この人はこういう人だ、と規定した瞬間からその人は規定から外れてく。時間とともに、エピソードとともに。  だから人間は面白いんだけど、だから厄介だ。  きっと君はこうすると思ったよ、ということの確かさは、簡単には得られない。外れると思うべきで、そうでなければ、相手が自分をどう思われているのかに合わせているのかもしれない。  そう思ってしまうのは、ぼくが人を信用していないからかも。  かく在るべきという人間像を構築することが正しいことなのか、今のぼくには不明なんです。でも、そういうものを着込んで人は生きているし、たぶんぼくだって何かを思われながら生きている。そのことはたぶん拭えない、一生。  誤解や齟齬を笑って許せる関係ならいいけれど、いつもそうとは限らない。自分の着込んでいるものをいつも更新できるわけでもなく、ただただ誤解は降り積もってく。  大事に思うんなら、定期的に更新することだ。相手を。自分の知っている相手が、いかに相手ではなかったか、知るでしょう。でも、相手にとってはそれがあなたの全てで、あなた自身なのだ。  自分ではない何かに向き合われてる感じはとても気持ちが悪いと私は個人的に思う。仕方ない面もあるけど、私と向き合わずにイメージと向き合っていると思うと、私は悲しくなる。そこには私とはほとんどなんの関わりもなくて、ただ固定された現像(げんぞう)があるだけ。それを愛すことは勝手だけど、それは私ではない。イコンに毒されすぎ。  現象としての私と向き合うのか、私自身と向き合うのか。現象と向き合うのはとても安易だし、たぶんあなたは傷つかずに済むのだろう。だってそれは幻。自分の良いように解釈し、作りあげることができるのだから。でもそ

人魚姫

 人魚姫は下半身を足に変えてもらう代わりに声を失った。歩くたびに激痛の疾る足。自分の恋を成就させなければ、泡となって消えてしまう呪い。  人魚姫は、助けた男に恋をして人となることを望み、足となる薬を飲む。命を賭して人となる。声を失い、歩くこともままならない。男を助けた事実も告げることができず、姫は行き場を失ってしまう。  言い訳をしていては生き残ることはできない。このままでは泡となってその身は消えてしまう。あらゆる弱さを捨てて姫は恋に生きる。それが彼女のすべてだから。この世に在るためのすべてだから。  伝わらない想い。人を恋に落とすことの難しさ。自分を見つめて欲しいのに、そうはいかない歯がゆさ。失われた声はどこへ行ったのだろうか。この足の痛みはなんの所為なのだろう。  声をなくしたことも足の痛みにも意味などなく、ただ失われ、ただ痛むのだろう。それは何かの思し召しでも、差し金でもなく、ただそう在るだけなのだ。  何に於いても男に恋をした自分に依っている。恋の病は治せない。やるべきことをやらなくては私は消えると言い聞かせる。今日も男はやってくる。しかしうまくいきそうにない。  できることをし尽くして、そうして私は泡となりたいと願う。ただ願う。行動する以外になく、そして、人の気持ちをどうすることも叶わない。  ただ目でうったえることしかできない。私にできることはなんなのか。姫には考えても考えてもわからない。自分の魅力とはなんなのか。自分にできることはなんなのか。どうすればこの恋は成就するのか。どうすれば泡にならず生きられるのか。    やがて王子は女性と結ばれ、人魚姫は泡となって海のもくずと消えたのだった。

紅い雲

 紅の飛行艇が引く雲の向こうから、蒼い島が見えてくる。  この世で一番美しい雲はきっと夏の積乱雲でも入道雲でもなくて、こいつの引く雲に違いない。空中戦闘からアジトに帰ってくると、俺はまずワインを飲む。ハンモックに寝転がる。ラジオをつける。そうやって、また次の飛行まで体を休める。  けたたましく電話が鳴る。空賊は今日も遊んでやがる。島のバーでどうせ今日も会うだろう。今日は仕事はもう無しだ。飛行艇のエンジンちゃんも休ませないと。お遊びはまた今度だ。  紅の飛行艇が日中にバーに着くと女性が駆け寄ってくる。俺は何の気なしに飛行艇を降りる。  雲は今日も艶やかで美しい。 以下の企画に参加しています。 第三十六回のお題は「雲」です。空に浮かぶ雲から暗雲、雲外鏡等、様々な「雲」の光景を作品にして下さい。詳しい概要→ https://t.co/GtCHTLOpLL に沿って9/2日21時~24時に #Twitter300字ss と @Tw300ss をつけ投稿して下さい — Tw300字ss (@Tw300ss) 2017年9月1日

永いいい訳

 彼に私は問う。  「自分のしたことで後悔したことってある?」「あるよ、たくさん」「もっとできたかもしれないって思う?」「自分のしたことを未来の自分がどう思うかは、今の自分がどういう風にそれを成しているかで決まるんじゃないかな」「どういうこと?」「手を抜いた瞬間から自信はどんどんなくなってく、みたいな」  私は生きてきてずっと後悔ばかりだ。形になってないし、自信もない。何をやってもダメで、ずっと進まずに生きてる気がする。  「自分が一生懸命にやった感触ってずっと残るよねー。それがたとえうまくいかなかったとしても、次に繋がるのかな」「そうそう」「やった『感触』って残るよね。自分の中の納得感みたいなの」「人にどう評価されようと、自分の感覚は正直だよね。きちんと『込めた』かどうかは自分がちゃんと見てる。手を抜いた瞬間に何かを失うのは自分なんだよね」  痛い所を突かれて瀕死の私。このままやってて、うまくいくんだろうかと私は悩んでたんだ。  「うぅ。そう言われると自信ないなぁ。あたしはきちんとやってんのかな」「そういうのも、後になったらわかるんだよ、きっと」「すぐには結果はでないよね」  目先の苦労にばかり目がいっていて、大局的な視点が欠けていたかもしれない。未来の自分がどう思うかなんて、考えたこともなかった。  「自分のことを誇りに思える行動しないと、どんどん荒んでくよね」「それって、自分では気がつかないのよね。いつの間にかこんな気持ちになっているって感じで」「そうだね」「見て見ぬ振りするのは簡単だけど、尻拭いするのはけっきょく自分なんだよね」「後悔という形にすら現れずになんか違う、って人生の人たくさんいる」  いろんな人のことを思い出すな。口を開けば愚痴しか言わない人。自分の人生なのに、何かの所為にしてる人……。  「たぶんみんないろんなことを言い訳にするし、できるし、人はきっと様々なんだよ。何が良いかなんてみんな違うのだし」  私もそうかもしれない。なんとなく生きて、なんとなくいろんなことして、なんとなく死んでいくのだろうか。いろんなことがあやふやになってく気がした。   「自分のこと肯定するのって難しい気がするけど」「そうかなー。もう覆せない『過去』のことだから、人は肯定したがるものなんじゃないかな、何があったとしても」「

正しいからしても良いと思うと、間違っていることに気がつかない

 ──なんともなしに彼がしゃべり出したこと。正義と生き過ぎた正義についてのなにがしか。  「自分のしていることが正しいと思う時、その正しさの裏に過ちが潜んでる。」「そうかなぁ。正しいことは正しいことでしょ」「正しいからこれをしても良いと思い過ぎると、自分が間違っていることに気がつきにくいじゃない?」「うーん、なるほど」「いつでもどこでも正しいなんてことはたぶんなくて、ある時には正しかったことが、別の時には正しくない、ということはありそう」  ──朝食の目玉焼きに醤油をかける。朝からなんでこんなこと言い出すのこの人は。  「なんにでも醤油かける人みたいな?」「ちょっと違う気がするけど、たぶんそう。醤油をかけてうまくなるものとそうでないものがある」  目玉焼きに醤油をかける派の私は彼とこの点で合わない。彼がケチャップを手に取るのを見つつのたまう。  「悪事を暴く報道がいつも良いこととは限らない、みたいなこと?」「難しいことだけどそうかもね」「なるほど。相手の正義が自分の正義とは限らないし、社会の正義が個人の正義とは限らないよねぇ。」「それぞれに事情がきっとあるし、それが透けて見えないと、話が食い違うし理解し合えない。理解しようと試みることはいつも必要だよ。話が効かない人でない限り。それがたとえお金のためであったとしてもね」  ──絶対に許されないことなんてあるのかな。私は思う。  「『正義は我にあり!』と言って人を殺すのは間違ってるのよね、たぶん」「いろんな事情があるんだろうし、死をもって償え、と言うのはやっぱ極論だよね。そこには正義はない」  ──朝からこんな重い話を……。ウチはいつもこんな感じで彼が会話の主導権を握り、私には一銭の正義もない。いつも彼が正しいみたいな雰囲気になる。  「……ヒーローはいつも怪獣を殺しつつ、ビルを壊してる、みたいなことか」