落ちゆく脳細胞

 寝ても寝ても足りず、どんどんと落ちていく。まどろみの中に、渦の中に、暗闇の中に。こうして意識を失っている間だけ、私は人間としていられる。落ちていく。眠りに。誰も信じることができない境地に達しても、それでも生きなくてはならない。私が生きているのは生かされているからに過ぎないが、それでも私は生きる歓びを失ってはいない。眠りに落ちていく。今はとりあえず眠ろう。とにかく眠ろう。それで全てが解決する、かもしれない。とにかく今はまどろむのだ。
 こんな夢をみた。
 ギターについたガムテープを剥がした後のネバネバを取っている。それを取り終わったら1階にいる母にギターを見せにいくことになっている。そうする前に少し寝よう。ベッドにギターを横たわらせ、自分も横になって眠る。
 起きると、自分も夢から覚めていた。何かの義務感がこんな夢をみさせたに違いない。
 やたらと昔のことを思い出す。大抵は私を非難する内容の妄想をしてしまう。落ち込みは余計にひどくなる。
 どんどん潜っていく。落ちていく。
 誰が悪いというわけでもなくて、ただ自分は存在していて、人もただ居て、それで私と関わって、それぞれの人生がある。ただそれぞれの方程式、ただそれぞれの仕組みに乗って、習慣に乗って、何かを思い、行動しているに過ぎない。私たちはそうやって歳をとっていくし、人を好いたり傷つけたりする。そういうものなんだと思う。
 恨みに思っていても仕方なくて、ただただ許すことでしか救われない。だけど、もう関わりたいかといったら嫌で、それは私をこんな気持ちにしている元凶であるから。こんな気持ちになってしまったからにはもう普通ではいられない。過去に起こったことは平等に私の元に降り注がれてくる。そのはずなのに私を非難する内容ばかり頭に思い浮かぶのは、私がそういう病気であるからだと思う。
 起こってしまったことをどう思っても仕方なくて、ただ許すことでしかない。そう在ってしまったこと、楽しかったこと、苦しかったこと、気持ちよかったこと、うざかったこと、気持ち悪かったこと、胸糞の悪いこと、全てがすべて、私である。この頭の中にある、すべてが私を構成している。記憶こそが私であるとさえ思う。これを失うのなら、私は私でなくなるだろう。
 ただ落ちていく。眠りに。そうすることで私はなんとかなるかもしれない。この渦の底まで降りたなら、きっと何かがあるのだろう。

 起きると頭に鈍痛が走る。また今日が始まる。昨日までより人に優しくできるような気がしてくる。私は、文章を書くのが好きだ。

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