かたぐるま

 今年の春に中学に上がったばかりの娘に居間で頼まれた。
「肩車して欲しいんだけど」
「ん? 良いけど、なんか取るのか?」
「いいからいいから」
ほら、と言いつつ私は屈む。娘が小さい頃にはよくこうして肩車していたものだと思う。成長するにつれて私の腰痛もあってだんだんとしなくなったし、娘も求めなくなってきた。なのになんで突然。肩車なんて、何年振りだろう。娘を肩の上に乗せる。
「もういいよ」
「なんだ、もういいのか」
「うんもういいの」
「なんか取るものがあったんじゃないのか」
「違うよ。」
「そうか」
そう言って私は居間を去ろうとする。背後に聞こえる声。
「これで最後だからね。」
「?」
「肩車。これで最後だからね。」
「そうか」

 娘はなんだかんだ成長しているのだな、と思う。大人になったとはまだ言えないけれど、彼女なりの父親との決別の儀式だったのかもしれない。まだまだ先のこととはいえ、いろいろなことを想った。将来、私は結婚式でこのことを思い出すかもしれない、思い出さないかもしれない。たぶん、誰に言うことでもないし、どうとでもないこのエピソードは、私と娘にとっての大事な儀式であった。娘もそう思っているだろう。そう意識できることは私にとって幸福なことだった。
 どんな親娘もこういう儀式をするのかもしれない。それが私たちにとっては肩車だったというだけで。

コメント

このブログの人気の投稿

寝付けない私に、母が話してくれたこと

どう思われてもいいという思考

つっかえたものを取ること

人とひとが出会うことの表現の可能性を知りたい

言葉の力を思考/施行する

正しいからしても良いと思うと、間違っていることに気がつかない

補助輪