或る庭園
「この庭には全てがあるのね。美しい詩、音楽、論、それにあらゆる法が。そのどれもが素晴らしい」
紛れ込んだ庭にある、棚に納められた『それら』はこの庭に訪れた人々が残していったもの。『あらゆる』それらは人の心を魅了する。これだけでこの庭に居続けるのに充分である。今までも、きっとこれからも、こうして訪れた人間の心を奪い、またその書庫を充実させていくだろう。
庭の主は、それを見つつ言う。
「この庭にあるもの以外に、次の世に伝える価値のあるものを人間は造れなかったのだ」
訪問者は様々な動物に囲まれ、楽器の前に座り、虜になってしまっている。過去の訪問者はどこに行ったのだろう。この宝を前に立ち去ったというのだろうか。譜面を読むに何百年もこの場所は存在しているようだ。なぜ主ひとりしかいないのだろう。
「どういうこと? この庭にないものは価値がないということ? 本当にそう言い切れるのかしら」
「この庭には全てがあると言ったのは君だ、訪問者よ。君はこの庭に何をもたらすのだね。楽しみだ。早く見せておくれ」
「私はこの庭に値するものは何も持ってないわ」
「だとしたらなぜこの庭を訪れた? なぜここに入ることができたのだ!」
「わからない。ここはなんなの」
そう言った瞬間に動物たちが人語で喋りかけてきた。
(ここを去ってはいけない)(ここを出てはいけない)(出てはいけない)(いけない)
「なんだろう。なにを言っているのだろう。突然」
(ここを出てはいけない)
「出ないわよ。こんな素晴らしいものがたくさんあるのに。ここは知識の、芸術の宝庫だわ」
「これらを得るだけではダメなのだ。何かを与えなくてはならない。お前の得る愛は、お前の与える愛と等価でなくては」
「ここにいてはならないということ?」
「そうだ。楽器から手を離すのだ。今すぐにここから出なければならない」
「そう……。残念だけど、それがここの掟ならば。これだけの量の、これだけのものがあるのだから、かなりの権威による庭なのでしょう」
庭には甘い匂いが漂っている。なんでも言うことを聞かなければならない気持ちになる。
「出るわ。この庭を」
「出口まで案内しよう。これは餞別だ。庭を出たら食べるといい」
「ありがとう。残念だわ。こんなに素晴らしいところなのに」
庭を出ると女は一匹のヤックルに姿を変えられていた。
*この掌編は宮崎駿作の漫画『風の谷のナウシカ』第7巻にインスパイヤされて書いた二次創作です。
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