フタリ

 そのオトコは自分を正当化している。病気だとか、収入だとか、人間関係だとか。いろんなことをそうあるべきことにしている。しかし、それはまやかしである。間違っていることについては間違ってるのだ。一生自分を正当化して生きる人もいるのだろう。自分のしたいことを蔑ろにしたり、見て見ぬ振りをしたり。適度で都合の良い理由なんて簡単に見つかる。やらない理由や言い訳はいくらでもわいて出てくる。

 そういう心の弱さは誰でも持っているものだ。そのオトコも例外ではない。きっといろんな理由からオトコは独りぼっちだし、いろんな理由から独りでは生きられないのだ。周りに人がいるからといって人を独りぼっちでないとは言えないし、独りで生きていないとも言えない。

 オトコは独りで生きることはできず、かつ、独りで生きておらず、かつ、独りである。

 それは総てが自分が逃げて起きた結果であるとオトコはまだ気がついていない。消極的だとか積極的だとかいっているのではない。言い訳を重ねた結果、今ここに立っているのだ。運の悪いことに病気になった。病気になったことは言い訳の所為ではないが、その結果感じているこの感情はオトコの所為である。

 人は自分を正当化する生き物だ。自分のしたことをどうしたって肯定したいし、否定もされたくない。常に自分のしたことは正しかったと思いたいのだ。間違っていたとしても目を背けがちであるし、認めたくもない。過ちが過ちにならないことなんてこの世にはいくらでもある。法律だけが過ちを規定しない。自分を裏切ること、そむくことは常に過ちである。そのしっぺ返しは常に自分が受ける。

 そしてオトコはそのオンナと駆け落ちしたのだった。

 オトコはオンナに溺れ、オンナはオトコに溺れる。そうやって慰め合っている。それではいつまでも幸福にはならないはずなのに、それで様になってしまうのだからダンジョ関係というのは恐ろしい。しっくりくる二人を引き離すも者はないし、言い訳は増長するばかり。自分たちを裏切り続ける二人。蔑ろにしつつ、二人は幸せなキブンになっていくのだった。

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