正しいからしても良いと思うと、間違っていることに気がつかない

 ──なんともなしに彼がしゃべり出したこと。正義と生き過ぎた正義についてのなにがしか。
 「自分のしていることが正しいと思う時、その正しさの裏に過ちが潜んでる。」「そうかなぁ。正しいことは正しいことでしょ」「正しいからこれをしても良いと思い過ぎると、自分が間違っていることに気がつきにくいじゃない?」「うーん、なるほど」「いつでもどこでも正しいなんてことはたぶんなくて、ある時には正しかったことが、別の時には正しくない、ということはありそう」
 ──朝食の目玉焼きに醤油をかける。朝からなんでこんなこと言い出すのこの人は。
 「なんにでも醤油かける人みたいな?」「ちょっと違う気がするけど、たぶんそう。醤油をかけてうまくなるものとそうでないものがある」
 目玉焼きに醤油をかける派の私は彼とこの点で合わない。彼がケチャップを手に取るのを見つつのたまう。
 「悪事を暴く報道がいつも良いこととは限らない、みたいなこと?」「難しいことだけどそうかもね」「なるほど。相手の正義が自分の正義とは限らないし、社会の正義が個人の正義とは限らないよねぇ。」「それぞれに事情がきっとあるし、それが透けて見えないと、話が食い違うし理解し合えない。理解しようと試みることはいつも必要だよ。話が効かない人でない限り。それがたとえお金のためであったとしてもね」
 ──絶対に許されないことなんてあるのかな。私は思う。
 「『正義は我にあり!』と言って人を殺すのは間違ってるのよね、たぶん」「いろんな事情があるんだろうし、死をもって償え、と言うのはやっぱ極論だよね。そこには正義はない」
 ──朝からこんな重い話を……。ウチはいつもこんな感じで彼が会話の主導権を握り、私には一銭の正義もない。いつも彼が正しいみたいな雰囲気になる。

 「……ヒーローはいつも怪獣を殺しつつ、ビルを壊してる、みたいなことか」

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