僕にとってはあなたはあなただ。
あなたの思ってる私は私そのものではない。私は私を見て私を好きになってほしいし、私を見ずにただ私の外面を好きだと言われても、私を否定された気分になる。私が私を否定された気分になるのは、私が卑屈だからだけど、そちらが私の本質であって、あなたの見ている私は私ではないと思う。
あなたの本質とは? 僕にとってはあなたはあなただ。私の見ているあなたが私にとってのあなただ。卑屈だろうがなんだろうが、あなたはあなただ。
それで私を愛してると言えるの? あなたが見ているのは私の一部でしかない。私のかけらを愛して、それで愛してると言えるの?
君は本当の自分を知られるのが怖いのだろう。本当の自分があからさまになることが怖いのだろう。一部でも愛しているなら、それで十分だろう。どのみち人間のすべてを知ることなんて、できないんだから。
私は私のことをある程度知っている。でも、私が私のすべてを知っているわけじゃない。私は人と接することが嫌なの。人に愛されるのも面倒。嫌なの。私は私を以って自分を知りたいんであって、人を媒介にして自分を知りたいわけじゃない。
つまり、本当の自分を人に知られるのが嫌なんだろう。醜い自分を人に見られるのが嫌なんだろう。自分一人で自分を了解したところで、それは自分一人でいる自分でしかない。この世には人が大勢いて、そのそれぞれに対して人はいろんな顔を持つ。ある人に対しては良い人でも、またある人には嫌な顔を出すものだ。誰にでも良い顔をすることはできないし、何かしらみんな抱えてるものなんだよ。
私は自分のこと、どう思われてもいいと思ってたけど、それはたぶん違うのよ。あまりにも人と接してこなかったから、誰かと関わりたいってだけなのかもしれない。どう思われても良いってことはないわ。よく思われたいし、人に嫌われたくはない。
ほら。人と接したいんじゃないか。
いや、でも、人に好かれるならそうしたい。でもそうじゃない。いつもそうなわけじゃない。
誰にでも好かれるなんてありえないよ。人に嫌われることを恐れていたら、何もできない。自分だけが自分を知って、自分だけが自分を愛して、一生一人で過ごすか。あるいは人に嫌われつつも、人に愛され、自分のしたいことをするか、だ。
人に嫌われるのも、自分の嫌なところを見るのも、イヤ。
だったら一人で生きることだ。誰にも頼らず、人と接さず、ただ一人で生きることだ。そんなことが可能ならね。
それは、無理だと思う。人間は社会的な動物よ。それに私は人に愛される喜びを知ってしまってる。その喜びは何にも代え難いもの。私はどうしたらいいの。
それなら、人と接することを選ぶしかないんじゃないの。自分の嫌なところを自覚し、人に嫌われたり好かれたりして生きていくしかないんじゃない。みんなそうしてるよ。誰にでも好かれることなんてないし、誰にでも嫌われることなんてないんだよ。腹を括るしかないね。そして、俺に愛されて?
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