Re:Write; 愛することの問答

 山頂にある巨石の前で、人が虚空に向かって喋っているのを、カップルは片隅で聞いていたのだった。
「愛とはなんなのでしょう。神さま」
「私は誰だって愛せる気がするし、誰も愛せないという気もするのです」
「私は優柔なのかもしれません」
「誰だってよい気がします。なんだってよいのです……。愛するに足るならば」
「神さま。愛するということを引き出させてくれる相手であるならば、私はそうできるでしょう」
「たまたま知り合った、たまたま気の合った人ときっと結ばれるのでしょう」
「私は真に愛されたいのです。そして真に愛したい」
「このいたたまれない気持ちのやりどころを、私は知らないのです」
「わからないことだらけなのです。どのように人と人は愛し合うのか。惹かれ合うのか」
「本当に愛するとはどういうことなのでしょうか」
「真の愛とはなんなのだ」
「神よ」
 その人はそこまで言うと下山していった。
 カップルは考えさせられたのだった。本当に私たちは愛し合っていると言えるのだろうか、と。それを考えさせるために、何者かがカップルの前にかの人を遣わしたのかもしれない。
 その日の次の夜、正式にカップルは結婚を決めたのだった。山の上の問答を聞いたことが切っ掛けとなったのかもしれない。煮え切らない関係は、山上の問いによって、一気に進んだのだった。
 ただこの人だと思い、互いの未来を受け入れることができる、その一点だったのだ。そういう人と出逢うということがそもそもの人生の不可思議で、宇宙の謎である。わからない。なぜこの人であったのか。でも、この人でなければならなかったのだ。なぜだかそう確信できるのである。
 かの人はカップルにこそ幸せを授けてくれたのだ。愛とはなんなのか。それが解らないまま、愛し合っている。それは本能といえるかもしれない。人間にそもそも備えられた能力なのだ。
 愛するということの本来は、神さえも知らないのかもしれない……。ただ愛し合う人だけが知っているのだ。

コメント

このブログの人気の投稿

寝付けない私に、母が話してくれたこと

どう思われてもいいという思考

つっかえたものを取ること

人とひとが出会うことの表現の可能性を知りたい

言葉の力を思考/施行する

正しいからしても良いと思うと、間違っていることに気がつかない

補助輪