自分の浅はかさを思い知ってる

 自分の浅はかさを思い知ってる。今更そんなこと思ってるの、と思う人もあるかもしれないけど、実際にそうなってみてはじめてわかることがある。それまで障害者だったのにある日からそうではなくなった。そのことにたじろぐ。というか、水をぶっかけられたような感触。
 社会に於いての厳しさというか、しっかりしてる感じって、懐かしさもあったけど、悠々自適に生きていた自分にはやっぱりショックだったんだと思う。自分は甘かったと本当に思ってる。今になって、いろんな言い訳を思い出す。いろんなことを書いてきたけど、そのどれも、私にとって言い訳以外の何物でもなかった。この先、どうやって生きていったらいいのかわからないでいる。どうしようもないかもしれない。
 喋れなかったんだから仕方ない、って言い方は、今の自分には正直きつい。だとしても、生きるべきだった。上昇志向でいるべきだった。私はただ自分の好きなように文章を書いていただけだった。そういう上を見ていない感はここにきて、アイタッて感じ。たぶん同い年の人の何十倍も低い位置に私はいる。超低空飛行だ。誰もこんな人間に手を差し伸べようとか、仲良くしようとは思わないだろう。簡単にそういうことは想像がつく。何より私には人にアピールする何かが何もない。いつの間にかそういう人間になってしまっていた。
 親からでさえも、大丈夫だよと言われても、何がわかって言ってるんだという気持ちになるだろう。気休めだとしても。自分のことだって自分でよくわかっていないのに人に自分のことがわかってるとは思えない。自分を救うのは誰か。たぶん自分以外にいない。自分でなんとかするしかない。
 冒頭に書いた「社会」という感じに恐れをなそうとしてる。遠慮がちになってる。こういう時に逃げ出さずになんとか立ち向かわないと、たぶん、一生このままだって気がする。いまが肝心で、なんとかしなくてはいけないのに、こんな文章を書いていていいのかって思う。
 せめて、何か取り柄のある人になりたかった。人に誇れるものが何かある人はいいな。自分には何もない。熱心になることもない。エンジンを積んでない。努力もできない。ただ悠々自適に生きてくことしか今の自分にできないのかもしれない。のんびり生きてたって仕方ないのに。熱心になるのなら、その方がいい。でもその媒体は何もない。私には何もない。書くことしかやってこなかったのに、そのことすらもおぼつかないのでは、何にもならない。生きてたって仕方ないって思う。なんの喜びもなく、ただ生きているだけになっている。

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