幸せの感度

「幸せと不幸せ、どっちがいい?」
「どっちも嫌。そのどちらかを選ぶという可能性がイヤ」
「そうよねぇ。そのリスク背負うの面倒よねぇ」
「だったら無難に幸せでも不幸せでもない道を選びたいなー」
「幸せは不幸せだし、不幸せは不幸せよね」
「うーん。お金があるのはうれしいし、生活に困るのはヤだけど、無くてもそこそこ幸せに生きられるのなら、そのほうがいいよね。あるに越したことはないけど」
「なんていうか、お金があるのが幸せだって、言えないよねぇ。あるに越したことはないけど、あってもつまんない仕事して死ぬほど働いて、何もできないんじゃ楽しくはない」
「それは仕方ないけどさ。どっかで楽しみを見つけるしかないのよ。それは無い物ねだりよ。生きるためよ」
「みんなが仕事できる人ならいいし、みんなが自分のしたいことが見つかるならいいのにね」
「でも、みんなそういうこと見つけようともしてないように見える」
「お金なくても、幸せに生きる方法はないのかなぁ。価値観の問題だよねぇ、たぶん。幸福の感度っていうかさ」
「ただ散歩するんでも、楽しみを見つけられる人ってのはいるのよ。何してても、幸せな人はちゃんと幸せなのよ」
「そうだよねぇ。えっちらおっちらお金稼ぐよりも、そっちの方がずっときちんと幸せだし、真っ当だよねぇ」
「お金は絶対必要だけど、それだけが全てってのは変だよ絶対」
「そうだねー。幸せと不幸せと両方同時に迫ってくるよねー、何かしようとすると。絶対どっちかなわけじゃん。それだったら、『何もしない』を選択したくなる気持ちもわかるかな」
「うーん。なにもしなかったら、一生、誰かに認められることも、好かれることも、慕われることも、愛されることもないんだよ。それこそが究極の不幸せだと思うけど」
「そうかもなぁー。」
「幸せの感度を上げ続けて、不幸せを遠ざけ続けるってことでしかないのかな」
「何が幸せで、何が不幸せかって自覚するのも大事よねぇ。なにか人生に楽しみがあるといいのにね」

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