いなくなった君

 道で人とすれ違う時、この人は君なんじゃないかと思う時があるよ。電車の中に座ってる人、本屋で本を眺めてる人、みんな君なんじゃないかと。ちょっとドキドキしたりして。でもそんなわけがない。どの人も、わたしとは無縁の人ばかりで。いや、すれ違う人と仲良くなりたいとか気を持ちたいとか、そんなことではないのよ。ただ、あれは君なんじゃないかと思ったりする。
 君はたぶん、どこにでもいて、なんでもしてて、ある時は通ってる病院の看護師さん、ある時はスーパーのレジ打ち。魅力的な人だからそう感じるとかじゃなくて、君と同じ性の人を見ると、なんとなく君を感じてしまう。もしかしたら誰だっていいのかもしれない。都合よく自分の中の君と、その場にいる人をダブらせているだけなのだけど。
 本当に誰でもいいのかもしれないと思って、そういう自分の浅ましさに凹んだりしてる。誰でもいいわけはないのに、どんなところにもいる君を思うと、わたしは誰でもいいのではないかと思ってしまう。君を想像するから、その像さえあれば誰でもいいのだ。これって不思議な感覚じゃないか。いろんなところにいる君に、君が宿っているように感じてる。たぶんその君に話しかけても、決して君ではなくてただその人なのだ。わたしの知らない赤の他人なのだ。でも君はそこにいるような気になってくる。
 夢でもないし幻でもなくて、ただ幻想として君を欲してる。そこに君がいるような気になってくる。そうであればいいと思ってる。でも、そうじゃない。君は一人しかいなくて、それは決して代替不可能で、つまり君でなくては駄目で。でも君はいなくて。
 どこにいても何をしてても寝ても覚めても、君を求めてる。だから、人を見ると君だ、と思ってしまうんだろう。こういうこと、『愛してる』っていうのかもしれない。愛してる。そう言う前に、君はいなくなってしまった。だからこそ、求めてしまうのだ。君を。どうしても逢いたい。愛してる。
 今日も、『君』とすれ違う。そうかもしれないと思いつつ、でも違う人だと知っている。紛うことなく違うのだ。しかし脳は身体は全身が君を求めてる。そのことを止めることができない。どうしたって街の人に君を見出してしまう。
 君よ。
 いなくなった君よ。
 いま、どうしてるのだろう

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