自分でもびっくりするくらい、わくわくしてる

 これから出会う人が、たぶんたくさんいる。そのことがとても楽しみ。うまくいくかもしれないし、いかないかもしれないけど、どっちでもいいやっていう感じになれている。うまくいかないことも楽しめるだろうって。だから、どう転んでもいいし、人にどう思われてもいい。それは投げやりな気持ちじゃなくて、自分の気持ちをどういう風にも持っていけるだろうって、思ってる。ある時期の自分よりも、ずっとしなやかな気持ちになれている。
 これから向かってくことが、自分にとってどんな意味があるのかはわからないけれど、たぶん良いことだろう。どんな経験が積めるのか、今から楽しみにしてるけど、とりあえず、人と接する楽しさみたいなことを、じっくり味わいたいと思う。
 自分という人間がどういう人間なのか、それで、わかるだろう。きっと大したものでもないし、ただ、自分の経験を活かせるってのは、うれしいものだ。素敵なことだと思ってるし、わくわくもしてる。やるぞ! って感じ。今、脳が焼き切れるくらいドキドキしてるけど、やばいとか、切羽詰まった感じではなくて、なんというか、新しく会う人たちへの不安とか、わくわくなのだと思う。簡単に言ったら緊張してるということだけど。でも、良い緊張だ。
 人は簡単に退場するし、そしてまた現れる。自分のこの9年間を肯定も否定もしない。なんとかなっていたはずだとも全然思わない。なるべくしてなったし、あるべくしてあった。その間に得た経験がどのくらい自分にとって意味があったのかは今はわからないけど、でも、何かを得、あるいは失っていたことは確かだ。良い方に向かうと良いけど、こればっかりは、運だと思う。悔いてもしかたない。そうでしかなかったんだから。
 運を天に任せる覚悟ができたのだ、と思う。この間の通院の時に、喋るのに覚悟がいります、と先生に言ったのだけど、喋ることそのものの覚悟というよりも、喋ることで起こることへの覚悟だったのだと思う。そして、それはもう通り越している。たぶん、僕は大丈夫。
 これから忙しくなるなぁと思う。これまでに得た習慣を、どのくらい続けて、どのくらいそうでなくすか、ってのが目下の課題で、瞑想とか筋トレとかジョギングとか文章を書くだとか、まぁいろいろあるけど、全部これからもやっていたいと思ってる。やるべきだとも思うしね。
 とりあえず、お金を貯めて、やりたいことをやり尽くすつもり。具体的にはまずは友達と会いたい。服を買いたいし、CD・レコードも買いたい。本も欲しいものがある。音楽もやりたいと思ってる。いつかやりたい、ではなくて、やろうと決心しないことには、できるようにならないと心に思う。文章も書いていたい。結婚もしたいし、子供もいつか欲しい。それはたぶん一足跳びにはいかないけれど、まぁ確実に。人生は、長いのだ。
 希望に溢れてるとは言えないけど、たぶん楽しいことが待ってるのは確実で。なんで喋ることができなかったのかって思うほどに、喋れるようになっている自分は、なんだか不思議で、やはりこの感覚を文章として残しておきたいと思う。とても不思議な感覚なのだ。片足を失った人の足が生えてきた、みたいな。まだ義足レベルなのかもしれないけど、実際に足が生える日も近いと思う。
 ずっとずっとこんなにテンションが高いことがなかったので、おかしくなりそう。わくわくしている。どう自分を表現したら良いのかわからないのだ。でも、それはずっとずっと前、子供の時からそうだったのかもしれない。
 認められるってことをずっと躱してきたのかもしれない。だけど、この数年でも、認められることは、はっきりとうれしいことだった。それは文章を書いて、公開していたから起きたことで、自分の文章は大したものでもないけれど、それでも認めてくれた人がいたことは、とてもうれしいことだった。その延長に今いて、認められたい、自分のしたことで認められたいって思ってる。そうあるべきだと思ってるし、これからすることは、きっと人に認められることだ、とも思ってる。認められるように頑張らないといけないとも思うし。
 自分を信じてるし、なんとかなると信じてる。どんな生活がこれから待っているかわからないけど、どんな生活だって受け入れることができるだろう。なんだって受け入れてやる。

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