人と人の関係、あるいは恋ついて

 男と女にはこれがある。男と女の組み合わせだけに限らないが、特にこの組み合わせにはこれは不可避かもしれない。
 恋なんてしなければいいのに
 そんなものないことにすればいいのに
 あるいは初めから恋していればいいのに
 半端に恋い焦がれて、離れていく人
 そうであることの表明は、二人の関係の命を削る
 そうならないと信じているのなら、そうならない手筈を踏まなければならない。それは人間の掟である
 私たちは恋について何もわかっていない。誰も恋についてわかってはいない
***
ただ男と女として仲がいいだけ。そこに恋が混じると──有り体に言ってしまえば性交とそれに対する欲求なのだが、──それだけでダメになってしまう関係というのがある。そんなものなしに男と女が、あるいは男と男が、女と女が、関係できたらどんなに良いだろう。
***
 男と女は、あるいは男と男、女と女は常に結ばれなければならないのだろうか。ウンメイという言葉で片付けるには陳腐すぎる。そうならなければいいのに、そうなってしまう。それまでのなにかは失われ、また新たな関係に成っていく。それが良いことなのか、そうでもないのか、誰にもわからない。
 愛し合う人々は、互いがそうでないかのようには振る舞わない。愛してるという観念を言葉にし、行動し、表現しなければならない。そうし続けなければならない。その関係にとって、そうすることが適切でないとしても。
 人と人の関係が、愛、あるいは性交だけではないと、私は知っている。人と人がセックスできる回数には上限がある。そう何回も、とはいかない。それは人間の掟。
 愛、あるいは性交の魔性に人は魅入られてしまっている。それは確かに良いものだ。気持ち良いものだ。しかし、そうするべきでない相手もいるのだろう。そうすることによって壊れてしまう関係というのがある。その道は、イッたら戻れない。
 男と女、あるいは男と男、女と女の適切な関係について。私は憂慮する。誰も彼もが繋がる必要はないし、そうしない方が良いこともあるということ。その方が幸せだということもあるということ。
 そうしたから、私はあなたと今、こうして会えるのだ、ということ。あの時にあなたが私に好意を持っていたことを私は知っている。だけど、それを表明してくれなくてよかった。だからこうして逢えるのだから。
 どうか、素敵な、夜を、共に。

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