悲観的な自己観

 自信を著しく失っているのであえて書く。不安を煽るように、自分を叱咤するように。私は、強くなる。
 何が不安なのかって、まだ言語化できていないけど、人間として自分はどうなのかってこと。今までずっと障害者として暮らしてきて、そうでなくなった瞬間に何もできない人、何もアピールするものがない人として社会に放り出されてしまった。出されてしまったというか、自分がそうして生きてきて、そうして飛び出ただけなんだけど。
 それでも何かあると思って生きないことには何も先には進まないし、本当に何もない。自分にはそれを見出してくれるような人もないし、自分で見つけないと。何をアピールするかっていうか、そもそもどういう風に生きてくかってことからして、もう分かんないんだけど。でももうすでに閉じられた道は多いし、なんだってできるわけでもない。ただ、できることはまだある。
 若いという特権を行使しないままにこの歳になってしまって、──そういう特権があるとしてだけど──これからできなくなっていくこととのせめぎ合いだって気がしてる。日に日にできなくなることは増えていって、あっという間におじいさんだ。おじいさんになれたらまだ良くて、そうなる前にどうにかなってしまうかもしれない。冗談じゃなく。だから焦ってる。若いうちにできることをしているだろうかって、そういう視点はずっとなかったから。もっと失敗したらいいし、情けない目にもあったほうがいい。若いうちにしかできないことをしておかないと、たぶん、私はダメな人間になる。
 それに私はあまりにも人間を知らなすぎる。そのことを危惧してる。どんな人がこの社会にいて、その人たちはどういう風に自分の気持ちを持って、どういう風に気持ちを表現して、裏と表、本音と建前をどう扱ってるのか、そういうことに無頓着すぎる。親しい人にさえそういうことがわからない。
 私は正直に生きてきたつもりだけど、そのことがいつもいいとは限らない。馬鹿正直とも言える。ちょうどいい嘘とか、人をいい感じにあしらうとか、そういうことが一切できない。
 それに、私は、とてもつまらない人間かもしれないとも思う。自分でそう思うのだ。
 確固たるものがあったらいいのにと思うけど、この歳になってそういうものが何もないというのは、やはり不安の種だし、何かにすがりたくなる。とにかく今の自分の生活の中で、自信を持てることが何一つとしてない。アピールポイントなんてないし、何もかもが人よりも数段劣っているかのように感じてしまってる。かなり悲観的になっている。このままでは、何をやってもうまくいかないだろうって感じ。
 とりあえず、考える。人と会いたいと思う。

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