甘えることと人との距離感

 甘えることって難しくて、自分にはよくわかららないことも多いので考えてみたい。
 わたしは一人っ子だからなのか、甘えるのがとても苦手、と思ってたけど、まぁ、甘える時は甘えてるのかなと思う。人生に対して甘いのと、人に甘えるのはちと違うのかなとも思う。自分に甘えてるという言い方もできる気がするけど。
 わたしは自分に甘いのだと思うけど、人に甘えるのはあまりできないというか、どうやったら人に甘えられるのかよくわからないでいる。懐の入り方がよくわからない。わたしが人に甘えてるとしたら、意識的でなくて、無意識になので、とてもたちが悪いと思う。
 無意識に人に甘えることを避けるのはとても難しい。相手を信頼している、気を許している、あるいは、舐めている、いろんな言い方ができると思うけど、なんだかまだ解釈として芯をついてないって感じする。甘えるというのは人との(あるいは自分との)関係だから、そこを見定めないと『甘えること』を理解したことにならないと思う。
 甘えることが板についている人もある。ある種、厚かましいのかもしれない。懐に入るのがうまいというかさ。人に迷惑をかけることを躊躇なくできる人。うらやましい。甘えられるとうれしいという場合だってあるだろうし、一概には迷惑とはいえないのかな。でも、人に何か影響するってことだと思う。しかし、迷惑っていい方をするとわかりやすいかもしれない。なにかこぼしてしまうだろうか。
 迷惑をかけるのを意識することもあるし、関係によっては迷惑を顧みないこともある。わたしは甘えるのも下手だし、迷惑をかけるのも下手だと思う。
 人との距離感を測るのが下手なのかな。それはいろんな人格の人と関係を築いてこなかったからなのではないか。人のことを慮るのが下手なのかもしれない。要するに想像力が欠けているのだ。人を見る目がないし、人がどう思うかを考えることはわたしとって難しい。
 甘える人は甘えていいかどうか逡巡せずに本能で甘えているようにみえる。さも当たり前であるかのように懐に入ってくる。距離の詰め方がうまいのかもしれない。そういう人に物を頼まれるのはあまり嫌な気持ちにならない。自然とそうする気持ちになっていることが多い。
 気を使うことで距離を取っているのだろうけど、人と人との関係を、わたしは見誤っていることが多いのかもしれない。とりあえず距離を取っておけば良いと思っている節がある。その詰める判断をする根拠がなにも思いつかない。いつも相手任せだし、それでは一生仲良くはならないだろう。うまくいってない。
 どうやって人と人は仲良くなるのか、わからなくなっている。
 無意識に甘えることがたちが悪いというよりも、甘えるべきでない人に甘えてしまうことがたちが悪いのだ。無意識だと距離感を無視するからたちが悪く見えるのだ。甘えてもいい距離感というのがあるのだと思う。そして、どうやったら人に甘えることができるのかわからないというよりも、甘える距離感にいる人がほとんどいないというだけなのだ。わたしの知り合いはほとんどが他人にすぎない。少数の友人と、家族だけにいい距離感を持てているのだと思う。
 そして、自分自身との距離も測りかねている。自分に甘いとか、自分に甘えてるというのは自分のしたいことがはっきりせず、いろんなことを許してしまっているということだ。ヤミクモにやることを許したり、役に立たないことを許したり。したいことをしている自分と今の自分の距離を測れていない。それではしたいことはできないのだろう。それではたぶん幸せになれない。
 甘えることは距離感によるのだと思う。距離感をうまく察知できればうまく甘えることができるのだと思う。甘えるべき人に甘え、迷惑をかけてもいい人に迷惑をかけて、生きていきたい。

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