人恋しくなって狂う

 一人っ子は往々にして甘えるのが下手であるか、図々しいほど人に甘えるか、どちらかであると思う。下手な人は、しっかりしてしまうので、どうやって人に甘えていいのかわからないのだ。なんでも自分でやろうとしてしまうし、人に頼るということをしない、できない。どちらにせよ甘えている、という言い方もできるのだけど、表面的に取り繕う分だけ厄介かもしれない。
 彼も人に甘えることが下手な人間の一人だ。そう自覚はしていないが、さまざまな不具合を見てとるにそうであると私は確信している。人との関わりが深すぎたり、浅すぎたり、うまく距離感を掴めない感じがすごくする。変に厚かましかったり、他人行儀すぎたり、甘えるべきところで距離をとったり、あるいは自分ですべき時に人に頼ったりしている。そうするべき時を判断できないでいるようだ。
 そういう人間は人に変に気を使わせてしまう。人に迷惑をかけると言ってもいい。私はそう思う。彼といることは楽しいことでもあるが、どこか変な人間である。一緒にいて楽しいと思うのは愛着があるというだけに過ぎないのかもしれない。
 自分と人との状況、心持ち、関係性を計るのが下手なのだ。そうするべき時にそうできず、そうしなくていい時にそうしてしまう。うまく行くときもあれば、そうでないときもある。ほとんど当てずっぽうでやっているか、自分の思うままにやっているということなのだろう。それでは、人間関係はうまくいかないだろう。
 案の定、彼は孤立している。うまくいっていない。フォローするものの、うまくいってない。自分をどう捉えるのか、人をどう捉えるのか、に不備があるように思う。完全に孤立している。このままでは何もかもが上手くいかなくなるだろう。何か手を打たなくてはならないが、人間としての根本に足を踏み入れることになるだろう。そう容易くはないし、誰にでもできることではない。
 人恋しくなればなるほど自分と人との距離を測れず、どんどんおかしくなる。絡まった毛糸を解くことができればいいのだが、余計にこんがらがっていく。
 人と人の関係は距離なのだろうか。もっと根本に相性とか、気が合うとか、思想とか、慣れとか、いろんなことが絡み合っている。それを解くというか解することができなければ、人付き合いは難しいかもしれない。合う人とは会った瞬間から何かあると感じるものかもしれないし、距離のある人とは会った瞬間から距離がある。それは出会ったシチュエーションにもよるかもしれないし、立場だとか、その時の自分の精神状態、相手の精神状態、いろんな要素があってとても複雑だ。我々は誰とでも仲良くなれるわけではないし、誰とも上手くいかないというわけでもない。

 結果として彼は狂ってしまった。孤独に狂ってしまった。人恋しさに狂ってしまった。そのうちに彼はすべての人間を呼び捨てにし、ぞんざいな扱いをするようになった。傍若無人となったこの悲しい狂人に、私はどう関わったらいいのかわからなくなっている。

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