この地球上、何十億人という人がいる

 あるところではうまくいかなくても、それは自分が合わなかったというだけで、他のところではうまくいくかもしれない。問題が自分にあるのかもしれないし、だとしたら改める必要はある。なにを許してなにを許さないかというのは、集合の美意識みたいなもので、結構どうにでもなるものかもしれない。自分が正しいと思うのなら、自分に合う場を探し続けるしかない。理不尽に振る舞うように見える人がいるとしたら、なにかを抱えた人なのだ。そういう風に為さざるを得ない何かを持った人なのだ。運が悪かったと思うしかないかもしれない。
 人はだれでもある人に対しては良い人で、ある人に対しては悪い人なのだ。ただその人の一面を見たに過ぎない。正しいことをした人が、その次の瞬間に悪いことをする。人間とはそういうものなのだと思う。
 にんげん誰もが悪人に見えているのだとしたら(ぼくにはそういう時があった)不幸にして出会っていないだけで、どこかに自分に対していいタイミングで良い面を見せてくれる人があるはず、と願い続けるしかない。
 人間を怖がっている人ほど、人と会っていないのではないか。経験不足というだけなのではないか。その問題を突破するためには人と会い続けるしかない。要するに勇気と機会と運の問題。母数を増やせば、良い思いは増える。
 一生を孤独のままで生きていくというのなら、それでもいいのだけど。きっとそうはいかないのだと思う。自分の認める人に認められることほどうれしいことはないのだ。独りでいても、そういう機会には絶対に出会えない。
 とにかく人と出会うことだ。出会い続けることだ。幸福でいるために、あるいは不幸になるためにはそれしかない。つまり、変わり続けるってことだ。
 この地球上、何十億人という人がいる。わたしはただ出逢っていないだけ。それは言い訳にも使えるし、勇気づけることだってできるだろう。切磋琢磨することはもちろん必要で、でも、そして、その上で自分の逢うべき人と会うこと、居るべき場所を探し続けること。それが良い方へ行くこともあれば、そうでないときもあるだろう。今のままなら、今のままだ。変化を恐れないこと。受け身にならぬこと。次々と変えていくこと。自分の中にしっかりした芯があれば、どのような場でもやっていけるはず。

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