不確かな情報を拡散するということ

 『マンモスを食うと死ぬらしい』。まことしやかな噂が流れてきた。私たち一族は、狩をして暮らしている。マンモスは今までにも何匹も狩って食っている。そうしないと我々は生きていけないからだ。これからもマンモスを狩っていくつもりだった。
 その噂はたまたま会った見知らぬ一族から聞いた話だ。彼らがなにを考えてそういう『噂』を流すのかわからないが、何か意図があるのかもしれない。もしかしたら、本当に食うと死んでしまうマンモスというのがいるのかもしれない。私たちの一族は混乱している。マンモスを狩るべきだろうか。
 この情報を得た経緯をもう一度洗いたいと思う。本当なのだろうか。確かな情報なのだろうか。マンモスを狩らなければ、私たちは食うのに困るだろう。そうすることでこの地域のマンモスは、他の部族のものになるかもしれない。その噂によって得をする人間がいるということだ。
 情報を流す人間にとってその媒介となる人間は都合がいいものだ。自分が情報源であることがあやふやになる。それによってさらに混乱させ、自分に罪が及ぶ可能性も下がるだろう。なるべく多くの部族を間に挟んで、たくさんの人間にマンモス狩りをやめさせることができたら、大きな益を得ることができるだろう。なるべく多くの人間を騙すのだ。そのためには確か『らしい』情報を混ぜる。ある部族のタロウはマンモスを食った途端に泡を吹いて倒れた、『らしい』。
 過激であればあるほど、情報は遠くまで広く伝わるだろう。どの地域に行ってもマンモスを狩ることが容易になるかもしれない。裏を知っている人間は少ない方がいい。どんどん偽の情報を確からしいものにしてリツイート、じゃなかった拡散していけばいい。
 「待て、自分たちで判断しようのないことなら拡散するべきでない。それは自分たちで検証してから他の部族に伝えるべきだ。嘘であると見抜く根拠がないなら拡散するべきでない。脊髄反射に拡散するな。マンモスを食うと死ぬかどうかは食ってみればわかることだ。私が喰う。全て毒味する」。
 情報は本当なのだろうか。疑っている人間は少ない。愉快犯かもしれないし、本当にそうであるのかもしれない。混乱の元になっているのはなんなのか。ちょっとした情報で、命取りになることもある。事態が切迫すればするほど。一瞬の判断が命を分ける瞬間は来るかもしれないし、来ないかもしれない。

 それを狩るべきか否か判断できるだろうか。冷静になればそれを判断するための根拠を持つことはいくらでもできるはず。簡単な、納得しやすい情報だけに惑わされてはいけない。部族は滅びるかもしれないし、そうではないかもしれない。

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