胡蝶

 夢から覚めると見覚えのある家にいた。
 部屋には本を夢中で読んでいる子供がいる。インターフォンが鳴るが誰も出てこない。この子しか家にいないみたいに。3歳くらいだろうか。絵本を読んでいる。
 子供のお腹が鳴っている。腹が減っているよう。相変わらず本に集中していてこっちには気がついていない。確か台所はこちらだ、と思いつつ厄介ごとになったらまずいなとわたしは思う。しかし、家には誰もいない様子である。
 また子供のお腹が哭いている。途端にいたたまれなくなって、台所に行く。何かあるだろうか。食器棚にパンを置いていたことを思い出す。ここは、紛れもなく、わたしが小さい頃に住んでいた家だ。何もかも覚えている。この家を壊して、今住んでいる家を建てたはずなのに。わたしはまだ夢をみているのだろうか。
 棚からパンを取り出す。あんぱん。居間に戻って、子供に渡すと無言で食べ始める。この子は、誰だ? 名前を訊こうにも言葉が出ない。ここに来てから子供もわたしもしゃべっていない。やはり、夢なのかもしれない。
 子供の顔をよく見てみる。自分なのだとしたら、顔に二箇所、傷があるはずだ。母と散歩している時に転んでつけた傷。子供は蝉の抜け殻をじっと見ている。こちらに気がつくようすもない。
 顔に傷はない。わたしは一人っ子だし、それではこれは誰なのだろう。傷ができる前のわたしなのだろうか。なにを暗示している? そもそもこれは夢なのだろうか。
 子供が誰かに呼ばれかのように台所へ行った。わたしがいないかのように。わたしには呼びかける声は聞こえなかった。ちょっとして子供は戻ってくる。あんぱんを持って。
 棚には一つしかパンはなかったのに。これはやはり夢なのだ。わたしは不気味に無視されている。夢の中で、幼い頃の自分を見つめている。幼い自分は本を読み、蝉を凝視し、ぱんを食っている。それをわたしは見ている。
 目が醒めると蝶が舞っていた。

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