価値を見出すこと、価値を高めること

 どのようにして人はいろんなことの価値を決めているのだろうか。それがわかるといろんなことをうまく運べると思う。誘惑にも負けないし、気の迷いも防げるかもしれない。社会にとって価値のある物を造ったり、価値のある人間になることを人は求めてるんじゃないか。
 なんでそんなこと考えようと思ったのかというと、とにかくお金を使ってしまうから。使うからにはそれに価値を見出しているのだろうけど、なにに拠ってそれに価値があると考えたのかということに、意識的になりたいのだ。それがわかれば、本当に必要なものにだけお金を払うことができるはずだから。
 あるいは、自分という人間の価値を見定めることにも役に立つだろうと思う。学歴や職歴や収入ではかるのも一つの方法だと思うし、人柄とか人格とか人間にはいろんな要素がある。自分というものを知るためには、価値というファクターに目を向けるのも良いかもしれない。自分の技術の価値を高めることにも繋がるはず。
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 誰かが褒めていることにあまり惑わされない質だと思ってきたけど、どうもそうでもないな、と思ったりする。わたしはかなりいろんな人の影響を受けて生きている。認めている人というわけでもなく、なんとなくSNSで流れてきた情報に惑わされたりもする。それによって本を買ったりCDを買ったりしているわけだけど、その字面というか物言い、表現の仕方に影響されているのかなと思う。というとブランディングの話になりそうだけど、この話はそういう話でもある。たぶん自分の中にツボがあって、こういう言い方に弱いみたいなことがあるんじゃないか。
 それから限られた貯金の中から今月はこれを買おうと決める場合、価値を比較することになる。あるものは買うけどあるものは買わない。その線引きをどこでしているのだろう。買う価値と買わない価値はどう違うんだろう。
 どんどん買って勉強していくんだ、経験なんだという言い方もできるかもしれないけど、経験を溜めている感じはしない。いつも間違っているような気になる。いつだって無配慮に、安易に、簡単に選んでいる。
 自分の基準のものさしを持っていない場合、やっぱり他人に依存しているのだ。人が良いと言うことによって自分内評価が上がり、意識することなしに自分が選んだつもりで手にしているのではないか。
 必要なものだという根拠を得るために、例えばCDならレンタルして聴いてから買うとかYouTubeで聴いてからとか、本なら図書館で読んでから買うとか本屋ですこし読んでからとかあるけれど、その買ったものは本当に必要なものだったのだろうかという問いにわたしは一向に答えられない。
 時間の配分だってそう。なにかをするのにどのくらい『人生』の時間を使っていくのかって、そんなに考えて決めているわけではない。ただ、そうと決めてレールに乗って習慣としてそうしているにすぎないことは多い。
 なにかをする価値があるとか、買う価値があるとか、どうやって人は決めるのだろう。本当に必要なものをわたしは買っているのだろうか。本当にしたいことに時間を使っているのだろうか。本当にいたい人と一緒に居るだろうか。価値とはなんなのだろう。手に入れる価値、聴くだけの価値、観るだけの価値、応援する価値、応援される価値。気を使う価値。気を配る価値。価値ってなんなんだろう。
 人間は自分のしたことを無駄ではなかったと思いたい生き物だと思う。自分の選んだものや、おこなった時間に価値が無いと認めたくないのだ。たぶん、それは自分自身を否定されたような気持ちになるから。自分は価値を選別する能力のない人間なのだと思いたくないのかもしれない。だからみんな見て見ぬふりをするし、曝け出さない。価値の評価の失敗はセンスがないとか、その人自身の価値を疑われてしまう。だから価値という評価自体を意識に上らせないようにしている。そうさせることが売る人にとっても都合がいい。
 何かを決めるとき、感覚に拠っている所も多いし、良いところ悪いところを評価するのは本当には難しい。誰にでもできることじゃないかもしれない。
 少なくとも自分の中のものさしの有無に自覚的になりたい。この分野はわたしは門外漢だと、ハッキリ意識していたい。自尊心は邪魔なのだ。知らないからと開き直ったり、突っ張ってるだけじゃだめ。知らないと自覚するからこそ調べるだろう。分かっているという傲慢を持っていると痛い目にあう。謙虚に冷静に判断したい。
 今の自分に価値を判断できるなにかがあるだろうかって考えると、途端に不安になる。満足の行く判断を下せたことが今までにあっただろうか。いつも結果オーライで自分を納得させていたにすぎないのではないか。
 人生とはそういうものなのかもしれない。
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 価値を見出すことと価値を高めることは裏表だと思う。
 なんとなく選ぶ人はなんとなく造るし、なんとなく価値を捉えていると言えるかもしれない。
 なんだか思いの外、怖い話になってしまった。

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