正気じゃない、ぼくら
10代の俺も20代のぼくも、今のわたしも正気とは思えない。何も自分が特別だと言いたいんじゃなくて、きっと誰もがそうだろう。自分は正気ではずっとなかった。
俺は恋に応えなかった。ぼくはひたすら病気だった。わたしはなにやってんだろう。俺は勉強が好きだった。ぼくはお金を稼ぐのが好きだった。わたしはお金を使うのが好きだ。
みんなどこか正気でなくて、みんなどこかで狂ってる。だらしないときもあれば、しっかりしてるときもある。何かに必死なときもあれば、気の抜けた甘ったるいサイダーみたいなときもある。何かに感動して心動かされたり、人とうまくいかなかったり人生はいろいろだ。
人はふつうみんな親切で、親切でないとしたら何か理由があるのだ。その理由が解るときもあれば解らないときもある。理不尽に感じるとしたら解らないからで、絶対に何かある。すべての人に対して何かあるはずだと思えたら、きっと人間関係はうまくいく。探ろうってんじゃなくて、在ることを察すればいいのだと思う。街やSNSですれ違った人に親切にする、しないも、きっと安易なことでしかない。正気でないと思うのなら、この人はそうせざるを得ない何かを持った人なのだという風に考える。わたしだって何かを持っているし、俺だってそうだった。たぶんぼくだって。
自分というものをいつだって見誤っている。俺は熱心で『正気でなかった』。ぼくは我を失って『正気でなかった』。わたしはもぬけの殻で『正気でない』。いったい人生のいつ『正気になる』というのか。熱心になることをわたしは恐れてる。我を失うことを、抜け殻になることを怖がっている。
きっと見えない手がわたし(達)を振り回している。きっかけはいつも不意に訪れてコントロール不能なのだ。なんだか知らないけど熱くなる、なんだか知らないけど病気になった、そして抜け殻。
どこかに向かっているはずなのに、どこにも向かっていない気になってくる。幸福に向かってる? 否。死に向かってる? 否。わたし達の道はいつも狂っていて、わたし達は正気でない。正気でないまま生きてきた。正気でないまま何処かへ行くんだ、きっと。
正気でないから自分の存在価値を秤りかねてる。自分の価値をどうやって増していけば良いのかわからない。そうだとしても何をしたってどこかに向かうはず。時間はいつだって流れてるのだから。神の見えざる手に惑わされ過ぎないこと。
『正気でない』自分をきちんと見つめたい。
俺は恋に応えなかった。ぼくはひたすら病気だった。わたしはなにやってんだろう。俺は勉強が好きだった。ぼくはお金を稼ぐのが好きだった。わたしはお金を使うのが好きだ。
みんなどこか正気でなくて、みんなどこかで狂ってる。だらしないときもあれば、しっかりしてるときもある。何かに必死なときもあれば、気の抜けた甘ったるいサイダーみたいなときもある。何かに感動して心動かされたり、人とうまくいかなかったり人生はいろいろだ。
人はふつうみんな親切で、親切でないとしたら何か理由があるのだ。その理由が解るときもあれば解らないときもある。理不尽に感じるとしたら解らないからで、絶対に何かある。すべての人に対して何かあるはずだと思えたら、きっと人間関係はうまくいく。探ろうってんじゃなくて、在ることを察すればいいのだと思う。街やSNSですれ違った人に親切にする、しないも、きっと安易なことでしかない。正気でないと思うのなら、この人はそうせざるを得ない何かを持った人なのだという風に考える。わたしだって何かを持っているし、俺だってそうだった。たぶんぼくだって。
自分というものをいつだって見誤っている。俺は熱心で『正気でなかった』。ぼくは我を失って『正気でなかった』。わたしはもぬけの殻で『正気でない』。いったい人生のいつ『正気になる』というのか。熱心になることをわたしは恐れてる。我を失うことを、抜け殻になることを怖がっている。
きっと見えない手がわたし(達)を振り回している。きっかけはいつも不意に訪れてコントロール不能なのだ。なんだか知らないけど熱くなる、なんだか知らないけど病気になった、そして抜け殻。
どこかに向かっているはずなのに、どこにも向かっていない気になってくる。幸福に向かってる? 否。死に向かってる? 否。わたし達の道はいつも狂っていて、わたし達は正気でない。正気でないまま生きてきた。正気でないまま何処かへ行くんだ、きっと。
正気でないから自分の存在価値を秤りかねてる。自分の価値をどうやって増していけば良いのかわからない。そうだとしても何をしたってどこかに向かうはず。時間はいつだって流れてるのだから。神の見えざる手に惑わされ過ぎないこと。
『正気でない』自分をきちんと見つめたい。
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