人間を理解するということ

 なぜ人間を描きたいかといえば、人間を理解したいからだ。なぜ人間を理解したいかというと、人間は捉えようがなく不思議で、オモシロクも怖い存在だからかもしれない。人間の存在というものの興味深さにはなんだって敵わないとわたしは思う。わたしにとって人間は忌避すべきものであり、同時に愛情の対象でもある。愛憎入り交じっていて、わたしにはなんだかよくわからないのだ。
 つまり現時点で捉えている人間というものについて、その解釈はどちらにでも振れうるということだと思う。わたしはどこまでも孤独になることもあれば、人の輪の中に入っていくことだってできるだろう。どちらでもいいと思っているし、どちらも正しいことだと思ってる。わたしはたぶん両方を知っている。
 どこまでも思い通りにいかないのが人間で、だから面白い。一人ひとりの人間が何を考え、何に興味を持ち、何を言い、そしてどんな行動をするのか、わたくしには不可思議でまったくわからない。わたしが把握している人間などこの世にはいない。自分自身を含めても。
 だから人が大勢いるところに行くと、意識して蓋をしてしまう。この人たち一人ひとりに家族がいて、興味のある某かがあって、誰かを愛していて、というようなことを考えると目がくらむ。
 あるいは特定のひとをこういう人間であると決めつけた瞬間に、もう見失うものがある。人は良いことをした次の瞬間、悪を行う。こうであると固定できないのが人間で、いつも流動し捉えどころがない。わかった瞬間にもうわからなくなっている。
 人間という深遠さをわたしは見て見ぬふりしている。大勢のひとを考えるときも、特定のひとについて思う時にも、わたしは目眩がするようだ。わたしには人間について理解しえないことが山ほどある。
 人が行うこと、人が求めるもの、人という存在。
 人という面白さ。
 書くことで考え、人間理解を深めたいのだ。書くことでならいくらでも考えることができる。誰にも影響しない。誰にも邪魔されない。自分ひとりの世界でそうすることができる。人間理解に足りないところがあると思えば、人に読ませればたちどころに解るだろう。
 人間にとって、人生の鍵を握るのはいつだって人間なのだ。人間を避けては通れない。人間のいない世界などない。なにごとも人間ありきで、人間なしにすべての思考も、芸術も、経済も、生活も、人生もない。だからわたしは人間を理解したいのだと思う。

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