真夏の夜の散歩

 「いま起きたの?」「うん、今から寝るの?」「うん、散歩しない?」「いいよ、コーヒー淹れたらね」「よしゃ」
 ──AM3:00。コーヒーを淹れ、軽く身支度して家を出る。
 「あの人とちゅーした」「このあいだ言ってた人? それで?」「そんだけ」「ふーん」「初めてちゅーした相手って覚えてる?」「覚えてない」「あたしは幼稚園の時、よっくんて子と。ふふ」「ふーん」
 ──AM3:20。陽の出る前の公園を、二人は歩いてる。あと1時間ほどで夜明けだ。
 「そういえば、今日の夢、キスする夢だった。なんかやけにリアルでさ」「へー」「なんか欲求不満? わたし。くちびるに感触が、こう」「なんかあれだね」「なに?」「飢えてますな」「うっさい」
 ──AM3:40。家を出て、歩き、また家に帰る。いつもの散歩。いつもの公園。池には誰もいない。世界中に二人しかいないみたいに。
 「帰ったら、また寝よっかな。夢の続き、みられるかも」「そだね。あたしもアパート着いたら寝るわ。ネムイ」「小さいころ、寝るの怖いときなかった?」「うーん、あったかな? 覚えてない」「キスしたことは覚えてるのに?」「うっさい」
 ──AM4:00。二人は家に着く。いつもこうして散歩するわけでもないけれど、ときどき二人は歩く。特に何か言いたいわけでもないし、用があるというわけでもないのだけど。ただ、なんとなく。
 「明日、じゃなくて、今日、か、あの面接」「そうだね」「受かるといいね」「うん」「今までやってきたんだもん。大丈夫よ」「そだね。だといいけど」「うん、だいじょぶだよー」
 ──日常の中に、とりとめのないことを話す相手がいる。気の置けない相手はわたしのことをだいたい知っているし、だいたい知らない。気が向いたらしゃべって、気が済んだら自分のことをする。たまにこうして散歩をする。真夏の夜の散歩。世界には二人だけ。それで充分なのだ。

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