片麻痺(へんまひ)

 父が倒れた。救急車を呼んで、入院することになった。診察によると糖尿病による脳梗塞らしい。半身麻痺が出ていて、リハビリ次第だが障害が残るかもしれない。今は左手足に力が入らない状態。一人でトイレに行くのにも不自由している。
 私も障害者であった。ほんの1ヶ月前まで。入れ替わるように父が障害者となりつつある。私はずっとサポートしてもらってきた立場であるので、これからできる限りの事をしたい。
 今はなんでこんなに甲斐性を持てるのだろうと不思議に思うくらいに、父のことを考えてしまう。「父」はこの世に一人しかいない人間である。こんなに自分の親父のことについて考えていることがあったろうか。不自由してないだろうか。何か欲しいものはないだろうか、考えてしまう。できる限り快適に過ごして欲しい。こうして夜に何もできることもなく、時間を過ごすこともできずにいると思うと、居ても立ってもいられない。
 今日は3回病院に通った。着替えを持って行ったり、スマホを持って行ったり。家から5分のところに病院はあるので通いやすい。思い立ったらすぐに行ける。一日に何回でも行ける。
 父は今、少々鬱っぽくて会っても笑顔をほとんど見せない。うなだれて、寝ているでもなく、起きているでもなく。ぼーっとしている。何を考えているのだろうか。病室のカーテンはどれも閉ざされていて、一つひとつの空間は仕切られている。
 2回目に行った時、スマホを操作できずに「指が動かせねぇや」と笑っていた。私は緊張していた。午前中に面会に行った時、ちょっと悪い空気になったからだ。父も自分の不甲斐なさにイライラしているし、母はできることをしようとしているのだけど、それがうまく噛み合わなかった。午後は私だけで行った。笑った父を見たら、少しだけ安心した。なんでか食事を摂っていないので、時間とともに元気が無くなっていく。1度目に行った時に見せていた回復への意欲も、2回目には失せていた。3回目はもっとであった。明らかに落ち込んでいるな、とわかる。何をするでもなく、考え事をしているのだろうか。この、今の時間も、何をしているのだろう。
 3回目の面会で部屋がナースステーションに近いところに移っていた。それだけ看護師さんにご厄介をかけているということかもしれない。今すぐに何かあるってわけじゃあない。歩けないのでナースコールを押す回数も多いのかもしれない。
 行くと応対にもほとんど覇気がない。何を言っているかもわからないくらいたどたどしい。弱々しく受け応えする中で「ありがとう」だけが、力強かった。それがとても印象に残った。彼はまだ失っていないのだ。

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