最近のこと

 今日は趣向を変えて掌編ではなくて、近頃のことを書こうと思う。
 私が普通に喋れるようになった途端に父が糖尿で入院してしまって、大変忙しい日々を送りつつ、直近のこと、ちょっと将来のこと、さらに将来のことを具体的に考えつつある。とにかく今のことをやっていくことでしかないけど、まぁ展望もなんとなく見据えつつ。近眼的になりがちなので大局観を持ちたい。とにかく視野の狭くなる恐怖は持ち続けないと。集中すると周りが途端に見えなくなってしまうのだ。それは良いことともなりうるし、そうでもなくなることもある。
 なんで喋れなかったのかわからないくらいに普通に喋れるようになった。滑舌は少し悪いけど、喋れないよりはぜんぜんまし。喋れないということを思うと、いろんなことが不思議になる。恥ずかしいとか遠慮しているとか引っ込み思案とか、そんなことではなくて、本当に喋れなかったのだ。こうしている今だって、なんで喋れなかったのか、わからない。ただ病気だったということなのだろう。
 病気のことをどう捉えたらいいのかわからなかったけど、言い訳に使うのは止そうと思ってる。でも、今の自分をどう人に説明したらいいのかわからない。病気だったのだ、というのが一番手っ取り早いし、嘘がない。何もしてこなかったことの担保にもなる。そう言ったら同情だって買いやすいだろう。心配もされるだろう。そして見放されるのだろう。
 言い訳にはしないけど、うまく自分を説明する言葉をまだ獲得していない。折り合いもついていない。なんとかやっていくのだろう。たぶん、心配には及ばない。自分の責任は自分で取る。
 文章に納得いかないことが増えたけど、自分を絞り込んで考えていくことでしかない。どれだけのめりこめるか、深く考えられるかだ。全ては。そこを怠った瞬間に、地獄を見る。粘り強くやっていく。
 もし期待があるのなら応えたい。私は人を楽しませることが好きだ。できたら文章でそれができたらいいと思ってる。文章でならできるだろうと思っている。
 先はまだ見えない。なんとかなるかもしれないし、なんともならないかもしれない。知るべきこと、学ぶべきことは山のようにある。一つひとつだ。一歩いっぽだ。先は永い。

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