ブックデザイン勉強会に行ってきた

 装幀というものにずっと関心があって、いわゆるブックデザインなのだけど、学生の頃からできたらやってみたいと思ってた。その勉強会があるとのことで、今日はそこに行ってきた。
 学生の時には、書店バイトで見つけた変な本を収集していた。装幀家さんの名前にも明るかった。そのバイト先は美大系の人が多かったのだけど、そういう人の会話に加われるくらいには。
 今日は、参加者の人があらかじめ造ってきた表紙の講評から。先生の装幀した本を見たら一目瞭然だけれど、文字にすごくこだわりがある先生の講評なので、文字についての指摘が大部分だった。違う書体を使わないこと(明朝なら明朝一種類だけ)とか、文字を要素ごとにブロックとしてデザインするとか。基本的なことを学べてよかった。そういうことがわかっていなければ、そこからの逸脱も不自然なものになってしまうのだと思う。
 最後に講評を受けた方の装幀が特に素晴らしかった。かっこいい本。こういうのが自在に造れたら楽しいだろうな、と思う。
 文字詰めから始まって、文字のデザインは奥が深いなぁと思う。ちょっとしたことで読む印象を深く操作できる。パッと手に取りたくなるデザインというのがあるのだと思う。なんでいま俺はこれを手に取ったのだろうって。なんとかなく惹かれるというか。ベタ組みではつまらないし、実際読みにくいし、印象には残らない。そこの機微を知りたかったけど、むつかしいなと思う。経験というか、その場その場の状況で臨機応変にやっていくものなのかもしれない。基本的なことは学べたので、自分でも今晩少しやってみる。
 これまでにも自分で自分のものをデザインのようなことをする時には詰めたりしていたのだけど、やっぱり、プロは違うな、と。まだまだ全然甘かったのだけど、やってやれないことでもないはず、とも思ってるし、挑戦したい気持ちもある。というかやる。
 懇親会で、装幀家として食っていくのはこれからはきついだろうと。今までもきつかったけど、より一層だと。装幀一本で食っていくのは難しい。何か他にもできることがあれば目はあるかもしれない。考える。というか、やっぱり、本に関わる仕事がしたいんだなぁと思う。装幀に限らずね。
 現状、将来について路頭に迷っている。いろんなことが遅すぎた。でも、まだやれない訳じゃないと思う。活路を見出せるとしたら、自分がしたことにだけ。病気は言い訳にならないし、いろんな困難がこれからあるだろう。それでも向かっていくって、今日はちょっと勇気が湧いた。人は本来的に優しいものだし、親切なものだし、人に気を使うものだ。まずは人に慣れていくこと。できるはず。甘く見ている部分もあるかもしれないし、困難な目にも会うだろうけど、大丈夫。
 自分を信じている。それは今までの自分が知っていることだ。

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