ジャズという愉しみ

 あくまでジャズに関しての私見を書きます。ただの戯言です。
 ジャズという言葉が出てきたときに、まず「大人な」とか「ムーディーな」とか、そういうことだけを連想した人は、間違ってはいないけれど、それだけがジャズではないのです。全体のほんの一部分を拡大解釈しているというか、そういう情報しか持っていないのだと思う。ジャズという音楽はそれだけではない。激しいもの(ハードバップ)から、心地よいもの、現代音楽に至る地平まで、いろんな音楽を内包しているのです。
 ジャズは即興で演奏する音楽です。つまりその場で発する音を決め、実際に演奏していく。多人数で演奏することが多いですから、それぞれの演奏者の音の関わりによって、影響を受けて音楽は進んでいく。基本的な決まりごとはありますが、そこからの逸脱を楽しむ、という楽しみもある。というかそういう風にジャズは発展してきました。だから、基本となるメロディ、ハーモニー、リズムを知ることが第一です。常にそこからの逸脱です。テーマ一つとっても、演奏される曲に対する基本的なメロディ、ハーモニー、リズムを逸脱しています。アドリブとなれば尚更です。その逸脱が、楽しく、一番おいしいところなんです。
 音楽といえば歌う唄である、と思っている人にはインストは聴きにくいかもしれません。どこを聴いたらいいのかわからないとか、聴いてると眠くなってしまう、とか。ジャズでは(言葉は用いないものの)演奏者全員が歌うということが大事です。ドラムもベースもピアノも楽器を通して歌います。つまり伴奏の最低限のことをしつつ、その範囲を超えるということです。ジャズにおいてドラムはリズムガイドとしてはほとんど機能していないと言っていいかもしれない。特にスネアに関しては不整合に聴こえるかもしれないです。大抵の演奏者のタイム感は良いので、ドラムでさえも歌うことができる、というかそういうことを要求されます。
 言うまでもなく、音楽の中心は歌です。その強弱、その音量、いろんな要素によって歌はできている。それは打ち込みや機械にはできない微妙な出し入れです。息の量の微妙さ、喉や舌や口の形の微妙さ、筋肉の動きの複雑さを機械が再現できないのと同じです。どんなに楽器を演奏するのがうまい機械を作ったとしても、人間の演奏する微妙さには追いつけない。それは機械がその動きや感覚や反応を人間のようにはコントロールできないからです。そこには人間の気持ちが反映されているからで、それはディープラーニングでも対応できないことだと思う。
 そして人間にとって心地よい音楽は作れるかもしれないけれど、人間のようには演奏しないと思う。それは、そこに人間がいる、と言うだけでそこにその人の歴史や人生を無意識に感じてしまうからです。この人はきっとこういう演奏をするだろうという予想、そしてその逸脱から、常に人は人間の演奏する音楽を感じているのだから。
 ロックはカッコいいことを目指した音楽です。クラシックは美しいこと、ファンクやクラブミュージックは踊ること、ジャズは歌うことを目指した音楽だと思います。歌にはカッコいいものも美しいものもファンキーなものもあります。ジャズにはそのそれぞれの指向に合わせて名前がつき分類されています(フュージョン、ハードバップ、ビバップ、クールジャズ、ファンキージャズ、ジャズファンク、クラブジャズなどなど)。
 音楽はつまり音です。歌を人が歌うものから楽器を含めたものに発展させるのならば、ジャズという音楽を楽しむことができるかもしれません。言葉という意味の無い分、より一層露骨に、音を感じることができる、という言い方もできるかもしれない。
 即興で演奏するというジャズほどに自由な音楽はないと思います。大げさに言ってしまえば、カッコよければ、美しければ、踊ることができれば、何をやってもいい。ジャズという音楽にはいろんな顔があるんです。『歌う』ということの音楽を一番感じるのは、僕にとってはジャズなんです。それは人間味と言ってもいい。楽器を使った意味を表象しない叫びなんです。だからこそ胸に迫るんです。純に伝わってくるんです。
 僕はジャズが好きだ。この文章がそういう説明に成っていることを願います。伝われ!
 まだここでは語っていないジャズについての何某かもありますが、今日はここまで。例えばswing感についてだとか、アドリブについて、楽器編成など、語りだしたらきりがありません。ひとまずここまで。

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