平気で失敗できる人

 どんなに考えたって、行動しようとしたって、今なりにしかできないし、自分なりにしかできない。その中でなんとかやっていくしかないし、できることは限られている。時間はあるようでないし、機会もあるわけじゃない。その気になることだって少ない。
 困難に立ち向かっていくために、強くありたいと願ったけれど、それはなんだか違くて、どっちかというと麻痺させたい、という感じなのだと思う。うまくこなしたいというかさ。その方法論を知りたいと思っているような気がする。何においてもね。
 いろんなことを考えても、その一本で解決する方法なんてたぶんなくて、その場で臨機応変に解決していくしかない。その場数を踏んでいくってことなんじゃないか。強くあるというわけでも、麻痺させるというわけでもなく、失敗を恐れないということなんじゃないか。平気で失敗できて、それを次に活かせるという人があったら、それこそが麻痺せずに一番強いということと言えるかもしれない。いささか逆説的だけど。
 まず平気で失敗して、それを元に冷静に物を考えられる人というのは本当に強いと思う。例えば平気で人を怒らせて、あーこの人はこういう時に起こるんだな、と冷静に情報収集するとかさ。人と人が対面して、わからないことだらけの時に、おっかなびっくりで接せられるよりも、ガツガツいってやり過ぎなくらいで引き算してく方が手っ取り早いだろう、みたいな。対する人次第の例えではあるけど。
 ガツンと怒られるのが平気って人もいるし、そうじゃない人もいる。逆からみれば、起こりやすい人と、丁寧に扱いわなければならない人といて、断然指摘されやすい人の方が、得るものは大きそうだよなぁと昔から思ってた。
 平気で失敗できる人ってのはいいよなぁと思う。怖いもの知らずってことなのかもしれない。根拠のない自信ということなのかもしれない。そういうことって若さと親和性が強そうに見えるけど、というかある程度年取ってそれをするのはちょっと恥ずかしいことなのかな、と思えてしまうけど、私はそうできたらなと思ってる。良い意味で無知でありたい。鈍感でありたい。それでもその失敗を分析して次につなげていくしたたかさを持ち合わせていれば、それで良い。つまり同じ失敗をしないということなのだ。
 強い弱い麻痺してる、という文脈で考えてみたけどどうだろう。字数が足りないので今日はここまで。

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