惑い人

 いろんなものを、人から受け取ったり、渡したりしてるんだ。そういうことを、ずっと、拒んできたのかもしれない。そうやって生きてきてしまった。誰から何を受け取るか、誰に何を渡すのか、渡せるのか。
 渡すものは、モノだけでなくて、気持ちだったり、情熱だったり。
 あいつがやるから、俺も頑張る、ということでもあったり。
 拒んできたなりに、いろんなことを受け取っていたはずだけど、これからは、ずっともっと、いろんなことを受け取ることになるのだろう。
 その時の、基本的な気持ちとして、私は何かを勘違いしているような気がしてならない。人と人が関わるということ。一瞬だとしても、すれ違うこと。そこで心を交わすこと。そういうことの、なにがしかをわかっていないような気がしてる。軽んじているのではないか。
 なにを人が重んじていて、あるいは真剣で、なにを軽んじているのか、それさえも個性であるけれど、それを知ろうということは人と人が接する上で、大事なことであるはず。譲れないもの。
 人というものが、なにによってできているのか、私は、知らない。
 自分がなにによってできているのかも。なにがなければならないのかも、なにを失ったら、自分でなくなるのかも。
 譲れないものは、仕事であったり、娯楽であったり、考え方そのものであったりするのだろう。
 自分が一番大事だ、という人もあれば、人に依存しなければ生きられない人もあるだろう。
 なにが正しい、なにが幸せだ、ということでもないんじゃないか。ただ自分のあるようにあれば良いんじゃないか。そこに居られなくなったなら、衣を変えて去る。幸せを求めなくなることが、私は怖い。麻痺してしまうことが怖い。思考停止してしまうことが、怖いのだ。
 人と、関わらずには、生きられない。どう、人と関わっていくのか。どう、自分の幸せを追求するのか。どうするのが良いのか、わからない。こうするとうまくいくという、攻略法にはない、難しさがある。そういう欠点をみんな僕らの世代は抱えてるんじゃないか。そういう価値観を持っていると、人生はとことんうまくいかない気がしてる。
 わからないことだらけだ、人生は。惑うしかない。

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