夕立

 今日は外に出るのが億劫だ。低気圧で頭も痛いし、傘さして歩いてもどこかしら濡れるだろう。空から水が降ってくるなんて、とてもシュールだと思うんだが、みんな普通に受け入れている。小さい頃からこんな日に外を歩くのが厭だった。世界は異様になっているというのにみんな平然として出かけたり、人によっては天の恵みだという。私にとっては不運な日でしかなかった。ザーザー音が鳴っている。降り始めに例の匂いがした。この匂いは好きだ。だけど天気そのものは好きじゃない。濡れることがとにかく厭だ。その後拭いをすることが嫌なのかもしれない。この天気を楽しみになるように工夫したこともあった。見栄えの良い長靴を買ったり、傘をビニールなんてやめてちょっと良いものを買ったり。そうやって出費しても、すぐに飽きてしまう。そんなことでは免れないほど、水の脅威はすごいのだ。こんな天気は化粧だって変わる。濡れることを前提として化粧する。この天気に関するなにもかもが、面倒臭い。
 天気なんて憎んだって仕方ないのだが。ただただ、過ぎ去るのを待つだけ。今日は何もできないし、するべきこともない。庭の草木に水をやらなくて済むくらいだ。天の恵みなんて私にはいらない。天に右往左往しない身体が欲しい。
 水が貯まれば助かる人もあるだろう。だけど、私の個人的な意見を言わせていただければ、誠に勝手なのだが、それなしになんとかならないのだろうか。やはり不都合がありそうだ。降らない日が好きかというとそんなことはなくて、つまり天気に好みなんてなくて、ただただ、天から降ってくるこの水が鬱陶しい。ぽつぽつと降り注ぐ。私の元に。そんなことしたって、いいことなんてそんなないのに。いや、私にはないのに。本当に自然は理不尽だ。でもそういうものなんだ。なんだか愚痴ばかりになってしまった。
 こんな天気だって楽しくできない自分が憎い。それは私が悪いのだ。解決しない問題を抱えすぎている。余裕をなくしている自分が、そんな気分にさせているのだろう。そうやって天気を媒介にして自分を知ることができる。私はダメなのだ。天気を愚痴るようでは。そういうことを一個ずつ乗り越えて、きっとこの先があるだろう。
 天気なんて御構い無しだ。構うもんか。濡れてやれ。行ってやれ。ずぶ濡れで行くがいい。この夏空だ、気持ちが良いだろう。行くがいい。そんくらいの方がいいのだろう、私には。

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