男と女

 ちょうど昼過ぎ。バスに乗っていると、男が駆けて行くのが見えた。その先には女がいた。男は必死の形相で、女に何か伝えているように見えた。しかし、何を言っているのかここからではわからない。バスはそれまでと同じように過ぎ去る。わたしは振り向いて、男と女の行方を追ったが、男が女に向かって頭を下げているところまでしか見えなかった。その後のことは、わからない。
 男は何かを詫びていたのかもしれないし、何かを頼んでいたのかもしれない。結婚を申し込んでいたのかもしれない。とにかく、遠目から見てもわかる形相だった。駆けて行く感じ、頭の下げ方、何かあったに違いない。もしかしたら、男と女の運命を変えるやもしれない、何かが。
 あるいは、考えられること。すでに付き合っている二人が、男の方から別れ話を切り出したのかもしれない。男が浮気をしていたのかもしれない。ひょっとすると、女には命が宿っていて堕胎を迫っていたのかもしれない。
 そんな大げさでなく、ただバイトの連れ同士が明日のバイト変わってくんねぇか、と頼んでいただけかも。ゴミ捨ててきてくれ、と言っただけだったかもしれない。
 この間はありがとう、と何かのお礼を言ったのかもしれない。
 頭を下げたように見えたのは、足元にゴミがあったのを見つけたからで、それを拾おうとしたに過ぎないかもしれない。男と女は何の関係もないアカの他人だったかもしれない。男はコンタクトレンズを探していたのかもしれないし、女はそれに協力する心優しい他人だったかもしれない。そして、その出会いによって二人の何かが始まったかもしれない。
 男と女のドラマツルギーにはいろんな可能性がある。そのどれをとっても、面白いかもしれない、そうでもないかもしれない。些細なことを面白がる人間の方が幸せだ、とぼくは思うわけです。

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