あと何年、生きるつもりで生きてるだろう。

 あと何年、生きるつもりで生きてるだろう。あと何年、働くつもりで働いてるだろう。明日には死んでるかもしれないし、100歳まで生きるのかもしれない。いつ頃仕事を辞めて、いつまで快活に生きられて、死ぬときにどう思うんだろう。若いうちにしかできないことは山ほどあっても、そうすることは叶わないこともある。したいことをできないのに、無理してやりたくないことを続けているのはなんだかなぁと思う。でも、したいことをするためにどのくらい頑張れているかって、微妙で。それが本当にしたいことことをするためなのか、ただ、しなければならないからしているのか、生きるためにしているのか。
 自分のしたいことは本当に今していることなのか。本当にしたいことはなんなのか。そのために毎日を過ごしているか。したくないことで疲れきっていないか。そういう日が続くと、自分を変えるようになるだろう。こうするのが自分のしたいことだったのだ、と。自分を言いくるめることほど簡単なことはない。人生の分かれ道はたくさんあるだろ。もうできないことは山のようにあって、でもできることだってたくさんあって。自分を封じ込めて生きることほど、自分を焼くことはない。どうしようもないこともあれど、そのために何かをしているのかというとそんなことはなくて。本当にしたいことなのなら、いくらでもできるということ。腹を括っているのなら。頭を使って、日々行動し続けていたらいい。それだけでもだいぶ違う。時間ない。眠い。ダラダラしたい。そんなことも言っていられないほど、何もかもを犠牲にして、そこに向かって突っ走ることだって人にはできる。言い訳は無限に湧き、でもそこに行く道はたぶん一つしかなく。それは意志の強さではなく、ただ本当にしたいことを知っていて、ただそれをしたいというだけに過ぎない。悪魔に魂を売ってでも、したいことをする人がいる。そうしなければそれは手に入らないからだ。どんな言い訳も効かず、ひたすらに。どんな忙しさの中でも自分を見失わず遂行する。いつも知恵を持ち、いつも人から学び、いつも成長している。効率よく物事を進め、自分のしたいことに邁進する。そんな人になりたい。
 あと何年、生きられるだろう。その間、私は何をするだろう。どんな風に死の瞬間を思うだろう。あらゆる言い訳を捨て、生きたい、逝きたい。

コメント

このブログの人気の投稿

寝付けない私に、母が話してくれたこと

どう思われてもいいという思考

つっかえたものを取ること

人とひとが出会うことの表現の可能性を知りたい

言葉の力を思考/施行する

正しいからしても良いと思うと、間違っていることに気がつかない

補助輪