ここに立っている。

 夢にまでみたことをしようとしているのに、なんの興奮もない。ただ淡々とそれをしているに過ぎない。それがきちんと成立するように、恥ずかしいことをしないように、精緻にやっていく。ここに立っていることを誇らしく思う気持ちもあるけれど、それだけのことをしてきたという自負だってある。つまりそうなって当然だと。ここまで来るのに、それなりの努力と戦略を積み重ね、運と縁に身を任せてきた。そして今ここに立っている。
 感慨を感じている暇などなく、ただやるべきことをやっていく。それがここに立っているものの務めであると、本能的にわかっている。ここに来るためにどれほどのことをしてきたのか、きっと人にはわからないだろう。いろんなことを犠牲にしてここまできた。そんなこと、したいことをしたいのだから当然と思うかもしれないが、それができない人は大勢いる。したいことをわからない人だってたくさんいるし、わかっていても誰にでも自分のしたいことをできるというわけでもない。
 できる、できないというところに今の私は立っていない。やるのだ。それだけなのだ。自分の力を振り絞って、やり尽くすというだけだ。そのために生きている。そのために犠牲にすることは当然だ。
 なぜこんなに頑張れてしまうのか、自分にもよくわからない。人に期待されるからかもしれない。そうでなければ、こんなこと、できないだろう。
 というか、できなかった。自分で自分にする期待なんてちっぽけな期待だった。できるはずだ、とは思っていたけれど、実際にやってみると難しかった。向いていないとも思った。でも。ひとり期待してくれる人があったから。
 だから私はなんとかやっているのだと思う。身を粉にしても、人生を棒に振っても、だとしても、私は幸せであると思う。自分の能力を活かすことができる。自分の居場所が社会の中にあるということ。その上、人に期待されるということ。そして、それに応えることもできるだろう。
 こうして、私は生きていく。死ぬまで生きるのだ。

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