なぜ、いまチャットしたいのか

 たぶん、人恋しいとかそういうことではないと思う。しゃべることの一足とも思ってない。ただ、今できることのうちで人と関わることの一端としてチャットが一番したいことなのだ、というのは間違いない。
 学生のころ父と鈍行で名古屋まで行った時に、父が電車の中で知らない人と話をしていたことを思い出す。たまたま縁あって出逢った人と、取り留めのない会話をして、一期一会に別れてく。その楽しみを父はわたしに伝えようとしていたように思う。これこそが鈍行の楽しみなのだと言わんばかりだった。
 わたしには会話の臨機応変力のようなものがもう、ほとんどない。とっさの機転が利かないという不安がずっとある。コミュニケーションにおいて対応できないのではないか、という不安があるのだ。なにか失礼なことや、言ってはいけないことを言ってしまうのではないか。会話するのなら、気の利いたことだって言いたい。そういう力はもうきっとかなり衰えている。
 じゃあ、書くことはできているのか、というとたぶんできていないのだけど、会話となるともう絶望的にできない気がしてる。友達とLINEで会話したりするのだけど、それは友達だから許されているというだけで、それは今までの付き合いや知っていること共有してきたことがあるからうまく行っているように見えているだけなのだ。本質的な問題の解決にはなっていない。
 書くことは楽しい。とにかく楽しい。毎日やったって飽きないのだけど、それをもう一歩進めたい。会話することは自分にとって、人間にとって、必要なことだと思う。
 わたしが日々感じていることを、言葉にしたい。その方法は多い方が良い。いろんな手段でさまざまな感動を表現できるようになりたい。会話はいちばん基本的な手段である。塞がれた自分の口を開く代わりに、いろんな方法を試したい。文明の利器に頼るならチャットは会話の代替となりえる。だからそうしてみたいのだ。
 わたしとチャットして得することって何があるんだろうなと思う。わたしが識っていること、感じていることは伝えることができる。現時点でわたしがなにを識っていてなにを感じる人間なのかを知らない人とはうまく会話できないかもしれない。それは不安。あなたがなにを好きで、なにを考え、なにを思い、どうしたいのか、という整理をするお手伝いはできるかもしれない。そんな大袈裟でなくても、ただわたしと話してもいいよ、という人がいらっしゃいましたら、お声がけを。よろしくお願いします。
 わたしはただただ会話を楽しみたいんだってことだと思う。他人を許し、許されるということ。一聴面白くなさそうな話を面白くしていくこと。または興味を持とうとすること。そのうち面白くなっていくだろう。自分ではない人間を楽しむということ。

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