「ちぇけら」に関する一考察

 なんでこんなに、「ちぇけら」という言葉に惹かれるのかわからんのだけど、とにかく惹かれる。「チェキ」ではだめだし、「チェケラッチョ!」もなんか違う。「チェケラッチョ!ハゲラッチョ!」はもっと違う。
 Hip Hop的なノリっていうのが、あるころ以来いっさい受け付けなくなったのだけど、この「ちぇけら」だけはなんとなくずっと気になっている。
 英語にすると"Check it out"である。このワードからなぜ「ラ」という音が発生するのか、ぼくにはよくわからない。
 とにかく「ちぇけら」と唱えるだけで、テンションがちょっとだけ上がる気がする。バイブス上がるとでもいうのだろうか。まるで呪文のように「ちぇけら」と唱えたくなる。唱えないけど。決して。先にも書いたようにちょっとそのノリはキツイ。
 瞑想のマントラが「チェケラ」だったら、ちょっとヤだなと思う。時間が経つに連れて空に浮かんでいきそう。(チェケラチェケラチェケラチェケラ)
 なんというか「ちぇけら」に対する憧れみたいなものを拭いきれないでいる。なんとなく目の端において置きたくなる。人が言ってるのを聞くのも恥ずかしいしこそばゆい。自分ではたぶんおそらく絶対に言わないけど、なんか気になる。語感が好きなのかもしれない。泥酔して我を失ったら言ってしまいそう。
 なんか、言いたくなるけど、決して発したくない言葉だ。自分の羞恥心がそれをせき止めているのだけど、ムズムズと言いたくなる。明けっぴろげにテレビとかラジオとかで言ってる人がいると、恥ずかしくなると同時に羨ましくもなる。なんというか、英語をしゃべってる感が強いのかもしれない。中学くらいで英語をかっこよくいうのが恥ずかしいみたいな手触り。そしてそれは同時に憧れでもあるのだと思う。
 日常に生きていて「ちぇけら」を使うことはまずないと思う。それだけが救いである。そんな人いたら引いてしまう。と同時にちょっと羨ましいのかもしれない。一度でいいからそこまではっちゃけてみたい。

コメント

このブログの人気の投稿

寝付けない私に、母が話してくれたこと

どう思われてもいいという思考

つっかえたものを取ること

人とひとが出会うことの表現の可能性を知りたい

言葉の力を思考/施行する

正しいからしても良いと思うと、間違っていることに気がつかない

補助輪