ひとりであること、あるいは。

 ずっとずっと、自分の弱さと向き合わずに生きてきた。いろんな意味でいま、自分の弱さと向き合わなければならない時が来ている。様々な意味で瀬戸際に立っている。人生いつだって分岐点だけど、こんなにはっきりとした分岐点はそうそうないのだと思う。いくらでもぼくは変われるし、良くも悪くもなっていく。
 このまま生きていけば、たぶん生きていける。そんなに困ることもない。低く暮らして、高く思うこともできるだろう。だけど、それは、たぶん、死ぬまで独りで生きるってことを意味する。
 独りなのは構わないけど、しかし、このまま生きていくことはわたしの本望ではない。このまま生きている自分でいたくない。
 ぼくはこれまでいろんなことに接してきた。そのどれをとっても、人が独りで形造ったものなどないのだと思う。この世にある、いかなるものも誰かが誰かと造ったか、誰かが誰かの影響を受けて造ったものだ。人は真に独りになることはできない。
 ぼくはいま、人と何かする、ってことに、憧れてるのかもしれない。そうしたいって、強く想ってる。人と何かするから、自分の持ってる以上のちからや能力を出せるのだと思う。人のちからを引き出すこともできるかもしれない。
 そう思えるのは、一人でいたからだと思う。ぼくは、「一人」ということをたぶん知っている。
 このまま生きるということは、誰かの助けを借りないという体をとって、強く誰かに支えられながら生きるということだと思う。その卑怯さに、その矛盾に、ぼくは耐えられそうにない。頼るのなら、寄りかかるべきだし、頼らないのなら、そうするべきじゃない。なんだか中途半端で、未来のないところに居てしまっている。この先にあるのは、本当に独りの世界なのだと思う。
 障害はあるにせよ、ぼくは独りでなく生きていくことができると思う。その扉が開きつつあると思う。それは、ゆっくりと開いてきた。自分で開けた部分もあるし、人によって開かれた部分も、もちろんあると思う。
 この先を開くのかどうかが、今の自分にとって、大事なこと。そのために、自分の弱さと向き合わなくてはならないと思う。お金の自由、時間の自由、人としての自由、いろんな自由を天秤に掛ける。
 このままいれば、自由だし、不自由なのだ。人生を開けば、不自由で、自由なのだ。どの自由を選択して、どの不自由を享受するのか。上手くいかないこともたくさんあると思う。だから、人生は、おもしろい。

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