「懐かしい」という感情

 「懐かしさ」を感じない人間などいるのだろうか。どんなに冷徹な人間だろうと過去のない人間などいない。AIにだって過去はある、と書こうとしたけれど記録を消してしまったら、懐かしさは感じないかもしれない。とにかくどんな人間にも懐かしいという感情は備わっているはず。いまは忘れてしまっていることでも、子供の頃がどんなにつらい時代だったとしても、かならずや懐かしさはあると思う。痛みの記憶でさえ懐かしいはず。
 記憶によって呼び起こされる懐かしい気持ち。時に音楽に染み込んでいたり、文字あるいは手紙だったり、それは映像かもしれないし、一葉の写真かもしれない。喚起される感情はすべてが心地良いものではないかもしれないけど、大抵の昔の、特に小さい頃の記憶って良いものに描き換えられているような気がする。記憶の中でまで苦しむとしたら、さぞつらいだろうと思う。そういう経験がわたしにもないわけではない。できるなら二度と思い出したくもないが。
 ひさしぶりの人と会う時、記憶の蓋が開く感触がある。有り体に言ってしまえば懐かしいということなのだろうけど、この感触の心地よさと言ったらない。いろんなことが総動員されて、わたしの前に迫ってくる。それは瞬間的にも訪れるし、じわじわと思い出してくることもある。ふと、降りてくる感じ。そういうことの総体として「懐かしい」と人は言うのかもしれない。
 「懐かしさ」の感触をずっと求めてる気がする。あの、感じ。良い思い出も、おもいだしたくない記憶もすべてひっくるめて迫ってくる、あの感じ。「!」と「?」の中間の、心地よさ。引っかかりを手繰り寄せる手触り。
 僕は自分の記憶力というものをそもそも当てにしていないのだけど、懐かしさの感触は心地良いし、頼りにしている。出逢った1秒前まですっかり忘れていたのに、逢った瞬間にすべてが眼前に現れる感覚。脳の情報転送能力は一体どうなっているのか不思議。
 いまこうしている感触だって、いつか、また、思い出すのだろう。この状況と景色と人と物と、いろんなことの複合として、わたしはいま此処にいて、こうしている。こうして此処に居てこうしていることをきっといつか思い出すだろう。いつだって我々は「懐かしさ」の素を作ってる。その感じって面白くて複雑で、シュールで楽しいって思う。

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