人を楽しませるということ

 初めて人を笑わせたのは、小さい頃、高島屋を「タカシ『ヤマ』」と言い間違えたってことだと思う。そのとき母は台所で洗い物をしていたのだけど、それをやめてしまうくらいの笑い方だった。今にして思えばなにがそんなに面白かったのかわからないのだけど、なにかが彼女の琴線に触れたのだろう。その時のわたしのRe:リアクション次第では、わたしの人生は全く違ったものになっていたかもしれない。もしかしたらとんでもないお調子者になっていた可能性だってある。
 その時のわたしの反応はなんで笑っているのかわからない、という感じだったと思う。間違って言ったことには母の反応によってすぐにわかったのだけど、なににそんなに笑っているのかわからなかった。わからないのはいまと同じだけど、不明な理由は今とは違う。
 人を笑わせる、あるいは楽しませるということが、当時のわたしには──とにかくわたしは幼かった──わからなかった。人を笑わせることが快感となっていたら、わたしの人生はずいぶん違っていたかもしれない。もっとお調子者ぶった人間になっていたと思う。
 今のわたしは、しゃべっても人を楽しませることができないんじゃないかと思っているに違いない。しゃべる価値のない人間と思っているのかも。
 実際には、そんなことはないはずなのだけど。今は母をジェスチャーや筆談で笑わせることは日常になっているし──それは彼女が多分に笑い上戸であるからかもしれないが。というか母は笑いたいのだと思う。当時もそうだったように──わたしがしゃべることが家族の幸福であることは間違いないと思ってる。少なくとも喜びであると。それは家族だけでなくて、友達も心配してくれていることだ。そうと理解してる。そこかしこにそういうことを感じてる。ありがたいことだと思う。
 人を楽しませるという自信をつけるためには人を楽しませ続けなくてはならない。そこにしゃべることが絡むのなら、しゃべり続けなくてはならない。自信というワードは危ういので安易に使いたくないが、それは大事なことかもしれない。
 結局のところわたしはこれを病気なのだと割り切りたいのだと思う。そうしてまた今晩もクスリを飲むのだ。そうすればまた安眠できるだろう。
 わたしに何かがあるのは間違いない。つっかえ棒を取るきっかけをずっと探してるように思う。見つかるといいけど。心のどっかでは人を楽しませたいと思っているはずなのだ。

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