自分の目を曇らせるものを身近に置かないこと

 惑うことなく人生を進めていくためにできることの一つに、自分の目を曇らせるものを身近に置かないというのがある。
 つまり、わたしがなにかに集中して実行していくのに障害となる全てのものを目の前、そして頭の中から排除するということ。発想としてそういうものを持ちたくないし、そういう発想になる全ての発端を排除する。
 まずは「やらない言い訳」をしないこと。人はなんとなくやりたくないことには簡単に言い訳を作る。本当に簡単に。気が乗らないとか、今日は足が痛む、日取りがよろしくない、時間がなくて忙しい、寝ていない、遊びたい、お金がない、やる気がでない、今日は休養日、など。そういうことを一つひとつ排除することでしか、やりたいことは一生できない。
 それから「卑屈な気持ち」を察して自覚し改めること。どうせ自分にはできっこない、わたしなんかがそんなことしていいのだろうか、わたしがそれをしたら人に迷惑になる、など。できないからやるのは時間の無駄と、やるまえから言っているのでは一生できるようになる日は来ないし、やる資格を自分から定めたり、人のこと気にしていたりしても、絶対に先に進むことはない。
 あるいは「怒鳴っている人、負の言葉を吐いている人」を傍に置かないこと。怒っている人を見る、それだけでわたしのやる気は何%か落ちる。負の感情が乗り移ってくる。自分が怒られているわけでもないのに不思議なのだけど、きっと何かが自分の中に同調するのだろう。負の言葉だけを吐く人も同じ。憂いている気持ちが乗り移ってくる。できればそういう言葉は目にしたくないし、耳にも入れたくない。
 そして「過去の栄光や、わたしを傲慢にさせたり調子に乗らせる人とモノ。謙虚な心持ちを損ねる全てのもの」を排除すること。わたしを安易に褒める人にわたしは心を許さない。トロフィーや賞状や勲章も目と心の毒なので目の届くところに置かずに、どこかに仕舞ってしまった方がいい。それから報酬を得るときに、誰にどのような理由でもらうのかにも敏感になったほうがいい。それはわたしを苦しめる原因となり得るから。わたしをおだてるすべてに、その理由を問え。
 人生は曲がりくねった道でしかも平坦なんてことはないかもしれない。人生に無駄なことなんてないなんて人は言うけれど、それでも無駄なことをしているほど人生は長くない。惑うことなく愉しく生きよ。

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