人を好きになること、自分を好きであること。

 自分のことを好いてくれる人もいる、そうでない人もいる。誰かに好かれるために生きてるわけではないし、そうでなくなるために生きてるわけでもない。ただ、自分は、自分だけは、いつまでも自分を好きでありたい。それがわたしの幸せだと思う。
  だから、自分で自分を好きでなくなる行動はなるべくしたくない。自分を惨めに思うのは厭だし、惨めに思うことから避けているかもしれない。自分を困らせることから避け続けて生きることは可能かもしれないけれど、でもそれはなんだか窮屈だと思う。
  困るから、工夫するし対処するし、大きくなるのだと思う。困ることから逃げていると、何も変わらないし、成長もしない。小さくなっていくばかり、窮屈になるばかり。  この世界には自分のことを好いてくれる人もあれば、そうでない人もある。それは当たり前のこと。きっと何かのきっかけで、人は人を好きになるし、そうでなくなったりする。そして、何かのきっかけで好いてない人を好くようになったり、あるいはもっと深くそうでなくなったりする。それはたぶん人にとっては些細なことで、しかしわたしにとっては重大なことかもしれない。
  全体として、あなたのことが好きよ、なんだかよくわからないけど、ということもあって、余計に話はややこしくなる。ただ顔が好き、ということだってあるだろうし、縁があって好き、ということも、もちろんあると思う。
  人を好き、という呪縛みたいなものがある。この人から離れたいのに離れられない、その理由──たぶん離れる理由と離れられない理由を天秤にかける人は少ない──はいつだってよくわからない。人と接している時にこの人といることは得だろうかと思うことは、なんだか不人情に感じる。でもそれは往往にしてあることかもしれない。
  ただ友達だから、ただ恋人だから、ただ夫婦だから、そういう理由を作って、一緒に居ようとする人は多い。ただ好きだから、ってだけでいいのだと思う。それを説明しようとすると、よくわからなくなる。
  あなたのここは不満だけど、でもこういうところが好き、だから一緒に居る、ということ。人のことを全て総じて好きということはたぶんおそらくきっとめったに天地が裂けても有り得なくて、でも、好きがないとやってられない。好きなところが見つからない人とはうまくやっていけないって思う。それは、好きなら好きで、それだけでオーライということかもしれない。あとはなんだって良いのだと思う。
  人を好きになるために必要なこと。あるいは人を好きでなくならないために必要なこと。どんな人にも欠点はあるし、醜いところもあると思う。近づけば近づくほどそういうところは見えてくる。そこから目をそらすべきではない。それさえも愛おしくなると、良いのだけど。人にはそれぞれ許容範囲があって、それも関係あると思う。
  「好き」を言葉にする。「好き」を表現する。相手に伝えるという意味ではなくて、自分に自覚させる。この人のこういうところが好きだ、と。ちょっと野暮ったいことだけど、そうすることはその人に対してくじけそうな時に大きな力になる。こんなこともあった、あんなこともあった、だけど、結局は、こういうところが好きなんだ、って。
  なんとなく好き、にしておく方がいいこともあるだろうし、そうでないこともあると思う。はっきりさせた方が応用が効く。このCDプレイヤーのこういうところが好きだから、つぎに買うときもこういうのを買えば気にいるだろう、とか。顔の好みもあるだろうし、理屈っぽい人、感情的な人、優しい人、頑固な人、感覚的な人、角張ったもの、柔らかいもの、人や物の特徴を挙げていったらキリがない。そして人と物を同列に扱うことの是非は今はどうでもいい。そこのおかしさをわかってほしい。
  ただわたしが、好きだから、好き。それ以外にない。他のことは関係ないし、考えうることは考えた。後悔もない。そうなれたら、本望だろう。
  ひいては、自分のことを好きでいるために、できることって何だろう。この上なく近くにいる人間であるところの、わたくし。わたくし自身。近づけば近づくほど、なんてものではなくて、一番近くにいる、いま、ここにいる自分。そういう人間を好きでいられないことは、とてもつらいことだって思う。
  自分を好きであるためにできること。自分を律し続ける。人の悪口を表現しない。ネガティブな表現をしない。自分の目を曇らせるものをそばに置かない。
  成長し続けることで、人は自分を好きになるだろう。成長する意思を失いさえしなければ、どんな状況だろうとも、人は成長し続けることができるとわたしは信じている。
  人の悪口やネガティブな表現は自分に返ってくる。皮肉めいた表現や卑屈な思考も。人の悪口を言っている人を人は好きにならない。悪口でなかよくなった仲間なんて最低だとわたしは思う。どんな時でもネガティブな表現をする人がいる。そういう人とは距離を置きたい。自分自身なら尚更だと思う。
  この世界には、誘惑が多い。今が情報化社会だから、というのではなくて、ぼーっとしてるとあっという間にわたしたちの目は曇る。好奇心を湧き立たせる物に溢れていると同時に、好奇心を奪うものにも満ち溢れている。そうなってしまう原因を遠ざけることはもちろんだし、そうなってしまいそうになっても、そうならない工夫をするべきだと思う。自分のことを好いていない人がいたとしても、そちらは決して向かないこと。距離を置くこと。くだらないことも必要だけど、それで一杯に満たされないこと。そして、自分を賞賛する言葉や表現に用心すること。自分をコントロールする言葉に用心すること。
  好きになるって、人が、ドキドキする根本だと思う。それそのものといっていい。他人や物を好きになる気持ちを、もし失ったとしても、生きていさえすればまだ自分と自分の未来はあるはず。どんな状況だとしても、自分を思う気持ちは失ってはいけない。
  自分に対してさえドキドキしていられたら、それで充分って気もする。それでなお人を愛せたら、あるいはじぶんの造ったものを愛せたら、それは、それだけで最高だと思う。そうなれたら良いな、って思う。

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