多くの人がそうであるように。

 どんな事があったにせよ、自分を貶めても、良いことなんてなにもない。みんながぼくのことを「そういう人なんだ」と思うだけだ。自分を卑しめて、人に上げてもらいたいのだろうけど、そうしてくれる人は稀なの。多くの人は障らないようにするのだろう。
 自分の中の卑屈さに気がついたとき、とても嫌な気持ちになった。自分の卑しさについて考え始めてもう何年も経つけど、自覚してもどうにかなるってもんでもない。ただ自分の時間を埋めてくことでしか卑屈さから逃れることはできなかった。楽しさでしか自分をごまかすことができないでいる。
***
 ぼくには、できないことが多すぎる。
 多くの人がそうであるように。
 「ひとには、できないがある」ということをうまく乗り越えられないでいるのかも。なんでもできると思いたいのだ。
 でも、できない。
 したいこと全部したい。
 でも、できない。
 多くの人がそうであるように。
***
 わたしの卑屈さの元はきっと、この、できないということだと思う。多くの人ができないことは、わたしにもできなくて当たり前のことである。しかし、できない自分を受け入れられない。この全能感がある限り、わたしは幸せにもなれないし、どこにだって行けないだろう。
 この卑屈さを覆すための努力、──充分な努力──をしているのかっていうと、最善を尽くしているとは言えない。要するに卑屈だヒクツだと文句だけ言って、何もしていないのと同じなのだと思う。やることやってないのだ。
 このスパイラルから抜け出るためには、やることやる以外にないと思う。できることを増やすこと、そしてできることの範囲を拡げてく以外にない。
 何もせずに文句だけ言うことは、魂が腐ってる。やることでしかぼくは救われない。多くの人がそうであるように。
 腐った魂では何も楽しめないのだ。そう気がついてから楽しい生活になった。やること一切を、自分のために、大事な人のために使っていける。いろんなことができるようになるかもしれない。
 おれはしあわせものだ。

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