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どうして僕から離れていくときはそんなに可愛いの

 寝ぼけた君は、こんなことを言ってきた。 「どうして僕から離れていくときはそんなに可愛いの」  恋人を自分のものにしていたい人にとって、少しでもその人から離れることはたぶん、苦痛なんだろう。それも、こんな、かわいくおめかしなんかして自分の元を離れてく、ってことは。出かけた先で何かあるのかもしれない、と不安なのかもしれない。  家を出るときには化粧をするというような当たり前のことだって、寝ぼけた人には通用しない。ただ、めかし込んだ恋人が自分の元を離れていってしまう、という事実だけが、寝ぼけ眼を刺激しているというに過ぎない。 「あら? あなたといるときは可愛くないのかしらん?」 イジワルして言う私。 「そんなことないけど。でも、今の方がステキ」 「あらそう。ありがとう」  いつもステキであって欲しいという気持ちが現れている言葉に、私はなんだか嬉しくなった。なんだか自分を認められたような気がして。一緒に暮らす彼とはもう長い。だから、いろんな面を見せている。それでも私のことを魅力的だと思ってくれているのだ、という感触。そして、私を失うことを恐れてくれているのかもしれない。そんなに深く考えていないかもしれないけれど、というか全然見当違いのことを私は考えているのかもしれない。そんなことを考えてるうちに時間になった。  ただ、離れていくときに可愛くしていく人を不思議に思っているというだけに過ぎないのかもしれない。そこに僕はいないのに、なんでそんなにめかしこむの、と駄々をコネていたのかも。  いや、もっと、素朴な疑問だったのかもしれない。彼の中から化粧をするという社会的行為の概念がすっぽり抜け落ちてしまっている。寝ぼけた人間は厄介で、かわいい。そんなことを言ったことだって、きっと明日には覚えていないだろう。  まぁいいや。いろんな優越感を抱えたまま、私はアパートを出たのだった。

最近のこと

 今日は趣向を変えて掌編ではなくて、近頃のことを書こうと思う。  私が普通に喋れるようになった途端に父が糖尿で入院してしまって、大変忙しい日々を送りつつ、直近のこと、ちょっと将来のこと、さらに将来のことを具体的に考えつつある。とにかく今のことをやっていくことでしかないけど、まぁ展望もなんとなく見据えつつ。近眼的になりがちなので大局観を持ちたい。とにかく視野の狭くなる恐怖は持ち続けないと。集中すると周りが途端に見えなくなってしまうのだ。それは良いことともなりうるし、そうでもなくなることもある。  なんで喋れなかったのかわからないくらいに普通に喋れるようになった。滑舌は少し悪いけど、喋れないよりはぜんぜんまし。喋れないということを思うと、いろんなことが不思議になる。恥ずかしいとか遠慮しているとか引っ込み思案とか、そんなことではなくて、本当に喋れなかったのだ。こうしている今だって、なんで喋れなかったのか、わからない。ただ病気だったということなのだろう。  病気のことをどう捉えたらいいのかわからなかったけど、言い訳に使うのは止そうと思ってる。でも、今の自分をどう人に説明したらいいのかわからない。病気だったのだ、というのが一番手っ取り早いし、嘘がない。何もしてこなかったことの担保にもなる。そう言ったら同情だって買いやすいだろう。心配もされるだろう。そして見放されるのだろう。  言い訳にはしないけど、うまく自分を説明する言葉をまだ獲得していない。折り合いもついていない。なんとかやっていくのだろう。たぶん、心配には及ばない。自分の責任は自分で取る。  文章に納得いかないことが増えたけど、自分を絞り込んで考えていくことでしかない。どれだけのめりこめるか、深く考えられるかだ。全ては。そこを怠った瞬間に、地獄を見る。粘り強くやっていく。  もし期待があるのなら応えたい。私は人を楽しませることが好きだ。できたら文章でそれができたらいいと思ってる。文章でならできるだろうと思っている。  先はまだ見えない。なんとかなるかもしれないし、なんともならないかもしれない。知るべきこと、学ぶべきことは山のようにある。一つひとつだ。一歩いっぽだ。先は永い。

好機を感じるということ

ラジオで偶然かかった曲。 図書館でたまたま見つけた本。 ぶつかった子どもら。 朝日が綺麗だったこと。 ***  いろんなことが日々僕の身に起こるけれど、なにがきっかけでどうなるかなんてわからない。それらのすべてが偶然とは言い切れず、しかしなにかを感じるには信心深すぎる。そういうことを虫の知らせと昔の人は言った。そういうことってあるのかもしれない。なにかが私にメッセージを送ってる、なんて妄想を誦える病気があるけれど、僕はそんなんじゃない、と言っておこう。この世界にはどう考えても目に映るすべてのことがなにかの思し召しとしか思えないことが起こったりするのだ。流れがある。昨日から今日にかけて、そんな日だった。  ラジオにかかった曲を漠然と聞いてた。90sの特集らしい。そこから流れてくる音のなにもかもが懐かしい。過去をあまり振り返る方でもないのだけど、こんな曲が流れたら考えてしまう。曲に張り付いた思い出が鮮やかによみがえる。ふと思い出すことが、今に通じてると気がついた。あの時のことがあったから、今があるんだと。この曲を聴かなかったら、そんな発想にはならなかったろう。あの時の失敗があったから今があるのだ。あの時には間違ったと思っていたけど、そんなこともなかったのかもしれない。  図書館に行くと、いつもは予約した本を受け取ってすぐに帰る。のだけど、今日はなんとなく本棚を眺めていた。そこで見つけた本。なんとなく惹かれた本。手に取ってしまった本。こういうことがあるから、時たま、本棚を眺めたくなる。必要な時に必要なものに目が止まる。半自動にそこにある。求めているものはいつだってそこにあるのに、気がつかないのはこっちなのだ。セレンディピティを鍛える方法があるのなら、知りたいものだ。  道を歩いていると、公園から飛び出してきた子どもらとぶつかってしまった。私もぼーっとしていたし、子どもらも必死に走っていたようだ。「おぉ!」と思う間も無く私が行くはずだった交差点で車が暴走してきた。子どもらと出会わなかったら、私はどうなっていたか、わかりゃあしない。ぼーっとしていても幸運が降ってくることがあるのだ。  朝起きて、大抵は散歩に行く。旭日の出るタイミングを見計らって。季節ごとにタイミングを計って外に出る。今朝はそれがとても綺麗だった。いつになく。こんな日は一年に一度だってお目にか

ちいさい頃

「じいじもご本を読むの?」 「ん? うん、そうだね」 「かめんらいだー?」 「いや、俺は仮面ライダーは読まないな」 「じゃあなにをよんだの」 「俺も小さい頃には本を読んだよ」 「じいじもちいさいころがあったの」 「そうだよ」 「なによんでたの」 「うんと昔のことだから忘れちゃったよ」 「ふーん。ボクがうまれるまえ?」 「そうだね、うんと前。君のパパとママが生まれるより前だよ」 「パパとママにもちいさいころがあったの」 「そうだよ。みんな小さい頃があったんだよ」 「イイモノにも? ワルモノにも?」 「そうだよ」 「かめんらいだーにも?」 「そうだよ」 「じいじはちいさいころなんさいだった?」 「んー、、君は今いくつだ」 「4さいだよ」 「じいじも四歳の頃があったよ」 「かめんらいだー?」 「仮面ライダーはなかったなぁ」 「じゃあなにがあったの」 「ん、いろんなのがあったぞ。なんでもあったぞ」 「みんなちいさいころがあったの? ぜったい?」 「そうだな。小さい頃がない人間はいないんだよ」 「ちいさいころはみんなおなじなの?」 「いや、みんな違うよ。俺の時は俺の時。パパの時はパパの時。君の時は君の時」 「じゃあ、いつがいちばんいいの」 「うーん、それぞれにそれぞれがいいんだよ。どっちがいいってことはないんだよ」 「ふーん。ちいさいころ、たのしかった?」 「そうだなぁ。楽しかったな。でも大人の方が楽しいぞ」 「ふーん。」

ブックデザイン勉強会に行ってきた

 装幀というものにずっと関心があって、いわゆるブックデザインなのだけど、学生の頃からできたらやってみたいと思ってた。その勉強会があるとのことで、今日はそこに行ってきた。  学生の時には、書店バイトで見つけた変な本を収集していた。装幀家さんの名前にも明るかった。そのバイト先は美大系の人が多かったのだけど、そういう人の会話に加われるくらいには。  今日は、参加者の人があらかじめ造ってきた表紙の講評から。先生の装幀した本を見たら一目瞭然だけれど、文字にすごくこだわりがある先生の講評なので、文字についての指摘が大部分だった。違う書体を使わないこと(明朝なら明朝一種類だけ)とか、文字を要素ごとにブロックとしてデザインするとか。基本的なことを学べてよかった。そういうことがわかっていなければ、そこからの逸脱も不自然なものになってしまうのだと思う。  最後に講評を受けた方の装幀が特に素晴らしかった。かっこいい本。こういうのが自在に造れたら楽しいだろうな、と思う。  文字詰めから始まって、文字のデザインは奥が深いなぁと思う。ちょっとしたことで読む印象を深く操作できる。パッと手に取りたくなるデザインというのがあるのだと思う。なんでいま俺はこれを手に取ったのだろうって。なんとかなく惹かれるというか。ベタ組みではつまらないし、実際読みにくいし、印象には残らない。そこの機微を知りたかったけど、むつかしいなと思う。経験というか、その場その場の状況で臨機応変にやっていくものなのかもしれない。基本的なことは学べたので、自分でも今晩少しやってみる。  これまでにも自分で自分のものをデザインのようなことをする時には詰めたりしていたのだけど、やっぱり、プロは違うな、と。まだまだ全然甘かったのだけど、やってやれないことでもないはず、とも思ってるし、挑戦したい気持ちもある。というかやる。  懇親会で、装幀家として食っていくのはこれからはきついだろうと。今までもきつかったけど、より一層だと。装幀一本で食っていくのは難しい。何か他にもできることがあれば目はあるかもしれない。考える。というか、やっぱり、本に関わる仕事がしたいんだなぁと思う。装幀に限らずね。  現状、将来について路頭に迷っている。いろんなことが遅すぎた。でも、まだやれない訳じゃないと思う。活路を見出せるとしたら、自分がしたことにだけ。

月に住むひと

「そろそろ月に帰ろうかしら」 「へ? 君は月から来たのか」 「そうよ? 知らなかったの」 「初耳。もう帰るのか。置いてかないで」 「あなたも来る? けっこう良いところよ」 「じゃあお言葉に甘えて」  その日、初めて彼女の家に行ったのだった。そらには月が輝いてた。そのことには二人とも触れずに、家までの路を黙って歩いた。彼女の家は月みたいだった。宙の月より月であった。 「ここよ」 「月ですね」 「そうよ? 良いでしょ」 「ふーん」 「中入ってくでしょ?」 「じゃあお言葉に甘えて」  今日はデートだった。3回目の。まさか家に行くとは思ってなくて、気の抜いた靴下を履いて来てしまったのが悔やまれる。月の主はお茶を淹れてくれている。あまりじろじろ部屋を見ないようにしようとするも、つい見てしまう。こんな部屋に住んでるんだ。 「素敵なところだね」 「そうでしょ。月っていうだけあるでしょ?」 「うーん、これは紛うことなく月だ」 「ところで。キッスしていいかしら」 「月だもの。いいよ。こっちに来て」  ……。いつの間にか、朝になっていた。月の輝きは失せていた。朝に見える月が青白く薄く見えるように、この家はなんだか違って見えた。夜の輝きをうしなって、でもなおその存在は、確かに在る。この家もひと月に一度くらい隠れてしまうのだろうか。  月に住むのは、ウサギでも蟹でもなく、愛おしいケダモノだった。  彼女とデートすると、彼女は「月に帰るわ」という。その度に僕はついて行って、セックスした。彼女はケダモノになり、僕は獣になった。  月での日々を、ときどき思い出す。この人とずっと一緒にいられたらと思っても、そううまくはいかないものだ。今も『月』はあそこにあるんだろうか。あの眩しい輝きを、ときどき思い出す。あれは、良いものだった。

友への手紙

 君が頑張ってきたことを、僕はほとんど知らないけれど。  君が頑張ってきたことを、君は絶対知っているはず。  君がなにかを賭していたことを、僕はなんとなく知っているけど、うまく君を励ませそうにない。きっとこれからも君にも僕にも困難はあるだろうし、うまくいかないこともあるだろう。自分の思い通りにならないことも、運命に翻弄されることもあるだろう。だけど、自分にできることをできる限りすることでしかないのだと、僕は思うよ。人をコントロールしようったって、大抵はうまくいかないものだし、当てにもならない。とにかく準備を十分にして、自分を追い込んでいくことでしかない。  君のしたいことを、していくがいい。  僕は自分のしたいことをようやくできそうなところまできたさ。これから、自分がどんなもんなのか、やっていくうちにわかるだろう。努力は惜しまないし、僕が気を抜いたら、言ってほしい。僕はすぐに手を抜くから。これまでにない努力ができると、自分を信じている。  拓けるかどうかもわからない。人に認められるかどうかもわからない。食っていけないかもしれない。でも、なんとか生きていかなくてはならない。どんな形だとしても。  いつまでも這いつくばっているわけにもいかないし、いつまでも自由にできるとも限らない。でも、いつまでもそうしていたいと思ってる。それがいつまで適うかはわからないけど、いつか叶うといい。  俺にはなんの野心もないし、野望もないけれど、でも、なんとなく生きているってわけでもない。どこかには向かっているはずで、それは君だって同じだろう。生きている限り、どこかへ向かっているだろう。  自分の望みを叶えた人にも叶えられなかった人にも、お金持ちにも貧乏人にも、友達が多くても少なくても、死は必ず訪れる。必ず。  死ぬ瞬間に、生き切った、と呟いて死ねたらいい。それが一年後か五十年後かはわからないけれど、そういう日は来るのだ。その日までをどう迎えるか、悔いなく迎えられたら本望だ。あー、幸せだった、と死にたいものだ。  君がしてきたことを、君の全てを、僕は知っているわけじゃないけれど。  僕は君のことを、少しは知っているはず。  君も僕のことを、少しは知っているはず。  だから。  僕が生きる依り代の一部であってほしい。君がいるから、僕はやっていける。君を裏切らないため